たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

数式アレルギーの人たちへ

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数学者でプログラマの結城先生の《数式アレルギー》に関する文章を読みました。ぼく自身も理系の端くれですし,色々と思うこともあるのでちょっと書いてみようと思います。

先生の言うように,数式っていうのは,われわれ理系にとってはものすごく大事なものです。それこそ「ことば」であったり,「共通語」であったりするかもしれません。数式はほとんどすべてを厳密に表現できるし,だれが見ても基本的には同じ情報が伝えられるからです。

でも,そうであっても,それが

何を怒っているかというと「私は数式アレルギーでして(てへ)」といってる(自称)大人に怒るのだ。勉強不足を恥じろよ。若者を自分のレベルまで落とそうとするなよ。文系ですからなんていうなよ。きょうび文系でもしっかり数式はよむぜ!若者を自分のレベルまでおとしめようとするのに腹が立つのだ。」

だと言っていいことにはならないと思うんです。

漢字が読めない若者を怒るでしょう?英語を読みたくないという若者を叱るでしょう?数式はそれと同じだ。

たしかにそうかもしれないなあ,って思います。でも,英語や漢字と数式とでは「生きるために必要かどうか」っていうことが,かなり根本的に違ってくるような気がします。数式にまったく触れなくても生きていける人は数多く存在するけれど,英語と漢字に触れなくても生きていける人は,数式のそれに比べると圧倒的に少ないんじゃないか,ということです。 加えて,漢字や英語は「生きているだけで自然に」身につけていく人もいるものです。数式はきちんと教育を受け,トレーニングを重ねないと読み書きすることはできません。


というような文章を書こうと思っていたのですが,どうやら先生が伝えたいのはそういうことではないようですね。

自分が使える武器を磨こう。武器とは言葉だ。日本語も英語もプログラムも数式も、あなたの武器だ。

氏はこのようにも述べていて,

大人は真剣に勉強しよう。真剣に考え、真剣に学ぼう。

最後にはこのように締めくくっています。

全員が数式を数学者のように読めと言っているのではない。そうではなく、歴史的な《知》に対する敬意が感じられない発言に腹を立てているのだな、私は、きっと。

けれど「大人が数式を学ぶ」っていうのも,そう簡単にいかないんじゃないかな,とも思うんです。なぜかというとそれは,先生が述べるように 歴史的な知 であるからです。数学とは(数学だけには限らないことですが)本当に気の遠くなるような先人たちの知恵の結晶の積み重ねの上に,成り立っているものだからです。

たとえば高校2年生の終わり〜3年生くらいで習う「微分積分」は,(諸説ありますが)実際に生み出されたのは17世紀です。つまり,1+1から始まって,がんばって高校生まで数学を勉強したとしても,300年も前の数学に追いつくのが精一杯だということです。

「お,数式なんだかおもしろそうだな」とか「数学ちょっとやってみようかな」と思って,実際に楽しくなるまでには,積み上がっているものがどうしても大きすぎるのです。数学の歴史が積み重ねの上に成り立っていたように,数学の教育も同じように積み重ね上に成り立っているからです。微分積分がわかるためには,Σの計算と極限がわかっていなければならず,Σがわかるためには数列が,数列がわかるためには方程式が,といった具合です。

受験とか教育とかではよく言われていることですが,これが数学のむずかしいところであり,数学が得意な人と嫌いな人をわけてしまう大きな要因の1つでもあります。ある地点でつまづいてしまったとすると,そこからいくら学んでも,それは基礎の悪い建物を作るようなもの。積んでも積んでも崩れていってしまうばかりです。

そこで「つまづいてしまったところ」まで戻って,そこからまた積み重ね直す,っていうのもなかなか時間的にむずかしいことです。だからこそ《数学アレルギー》になり,とりあえず見なかったことにしてしまうのかもしれません。

そんなわけで,《数学アレルギー》もなんだかんだしょうがないのかもね,というお話でした。とはいえ,結城先生の「数学ガール」なんかは,また今までと違った切り口で数学を捉え直しているし,前に書いた「積み重ね」をそこまで意識せずとも楽しめる,とてもいい本なんじゃないかな,とは思うんですけどね。

そう思うと,比較的歴史が浅く,始めてから数年で仕事に使えるくらいのレベルに達することができる英語やプログラミングなんかは,なかなか「真剣に勉強しやすい」のかもしれませんね。とはいえプログラミングも「なにがどうなっているのか」をしっかり理解しようとすると《数式アレルギー》を克服しなければならないのですが。

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だれのためになにをつくるのか

Webエンジニアとしてのアルバイト

さて,ここには書かなかったのですが,Webエンジニアとしてアルバイトを始めてからそろそろ1年くらいになります。なんだかんだ3つの会社を渡り歩いて来て,色々と思うこともありました。1つ目は大手IT企業を脱サラした2人が立ち上げたガチガチのスタートアップベンチャーで,2つ目は社員50人くらいのそろそろミドルに行きたいベンチャー企業,3つ目は社員数400人くらいのメガベンチャーでした。

ぼくがしていた仕事は,ちょっとむずかしく言うと「バックエンドWebエンジニア」という役割です。ものすごく大ざっぱに言うと,Webページの見た目を作るのではなくて,ユーザーごとに異なる動作をするとか,データベースを操作するとか,そういう「裏側」を作る人のことですね。 具体的にぼくがどんな仕事をしていたかというのは今回ほとんど関係がないので,まあそんな仕事もあるんだなくらいに思っておいてもらえば問題はないです。

今回はこのあたりにからめて なにかをつくるとはどういうことか ということを書こうと思います。

マニュアルを読めば

1つ目の会社で作っていたWebアプリは,主に官公庁や古くからある企業むけのものでした。基本的には「今まで紙ベースで行なっていたものをWebベースにしよう」という姿勢のもので,具体的には業務支援サービスや勤怠管理システムのことを示します。 そこでは ユーザーのことを考える ということは,残念ながらほとんどありませんでした。 「どうすれば使いやすいか」を考える暇があるならマニュアルを書けばいい といったような感じで,悪く言えば殿様商売といったところですね。

ここから先はぼくの邪推だけれど,開発者とユーザーの間にはこういう心理があるのだと思っています。

  • 開発者
    • どういう風に使っても案件が決まってしまえば使ってもらえる
  • ユーザー
    • どれだけ使いにくくても結局それを使うしかない

というもので,もう少し言い方を変えると,両方とも「天から降ってくる」ようなものだといえます。 ユーザーにとってそのサービスは, 天から降ってきたのだから仕方なく使うもの であるし,開発者にとってそれは 天から降ってきた案件なのだから最低限の仕様さえ満たしておけばよいもの でしかないということです。

こんな風に書くとSIerとか業務アプリといった業界を批判しているかのように見えるかもしれないけれど,そういうわけでもないのです。そこにコストをかける必要がないのであれば,そこにコストをかけないのはごく自然なことだからです。 そのシステムではそれは求められていない。

見たところ使いにくいなあ,と思っていたシステムではありましたが,それを使いやすくするためには時間もコストもかかります。まだまだ下っ端エンジニアだったぼくは「これはこういうものだ」と言い聞かせ,ひたすら上に言われた通りにプログラミングをしては,マニュアルを書いていました。 ほとんど「ログアウトボタンを押すとログアウトできます」なんてことが書かれたマニュアルを作らなければいけないことはそれなりに悲しくはあったのですが,そういう仕事なんだと思うしかありませんよね。学生アルバイトができることなんて,本当に微々たるものなのです。

新しい技術を取り入れていくべきか

その会社で使われる技術は,お世辞にもそこまで最新のものとはいえませんでした。ぼくはそこそこギークな人間で,はてなブックマークやらなんやらで「流行り」を追っかけるということが好きです。その会社ではその記事でもう時代遅れだと批判されているような技術やフレームワークがまだまだ現役でした。 そこにはバージョン管理という概念はなく,全員が本番サーバにターミナルからSSHでログインし,vimで直接ソースコードをいじるといったような環境です。

けれどこれも,それが必要とされていないから,変わることはないんですね。いわゆる「技術力が高い」と言われるITベンチャーなんかだと,最新の技術やフレームワークをどんどん取り入れていきます。

なるべく少人数でスピーディーに開発できるシステムを用いれば,人件費を下げることができます。どんどん効率化していかないと,競合するサービスに敵わないからですね。また頻繁な新機能の実装とテスト,セキュリティの維持,バグの修正,負荷対策などなど, 様々な問題をその高い技術力で解決していかなければいけません。

けれど,二回目になりますが,ぼくがかつて作っていた業務アプリケーションでは,そういうことは必要とされていなかったんです。いわゆる「作りきり」でお金もぽーんともらえるので,最新の技術を使う必要はないし,使われる場面も限られていますから,新機能が追加されることもほとんどありません。セキュリティだってお世辞にも強化されているとはいえませんでした。

まったく毛色の違う2つの会社で働いてわかったことは,結局 技術力は必要とされなければ高まらない ということでした。今となっては当たり前のように思えますが。新しい技術をどんどん取り入れていくことは,一見するとすばらしいことのようにも思えます。しかしそこにはドキュメントが少なかったり,開発できる人が少なかったり,導入コストが高かったり,色んな障壁も存在するのです。

なぜ技術が必要か

結局のところ技術力って「だれのため」のものなんでしょう。また「なんのため」にあるんでしょうか。 ぼくは結局それは 「ユーザーのため」であり,最終的には「エンジニアのため」 なんだと思っています。

エンジニアには大きく分けて2種類の人がいると思っています。技術が大好きって人と,ユーザーが大好きって人ですね。ぼくは残念ながら前者ではなくて,後者のエンジニアです。 じぶんの作ったものをなるべく多くの人が楽しく使ってくれたらうれしい。そういうエンジニアです。

結局そのために技術は必要なんです。 ユーザーに合わせて,速いスピードでプロダクトを評価,改善していって,どんどん使ってもらう。そういうことを繰り返していかないと,ユーザーに価値なんか提供できません。ユーザーから挙がってくる「ここは使いにくいな」とか「ここがもっとこうなるといいのに」ということを無視していたら, なるべく多くの人が楽しく使って くれることはないからです。

ぼくにとって技術は,ユーザーを喜ばせたいエンジニアのためにあるものだ,ということです。

なぜエンジニアなのか

ひとことに技術技術と言われるエンジニアがどんなことを考えているのか,一例としてなんとなくわかっていただけたんじゃないのかなと思います。

ぼくはエンジニアのすごいところ,おもしろいところは

少数の力で速いペースで世の中を良くすることができること

なんじゃないかなと思っています。医者とか政治家とか教師とかに比べて,圧倒的速いペースかつ,小規模のチームが世界に大きな影響を与えてきました。

これがぼくがエンジニアを選んだ理由でもあります。世の中にたくさん仕事はあるけれど,エンジニアならなるべく多くの人をなるべく早くハッピーにできる,と本気で考えているからです。

もちろん技術を使って仕事をする会社はたくさんあるのですが,やっぱり「なにか作ってだれかをしあわせにする」っていうことからは離れたくないな,といつも思っています。

予告みたいなもの

さて今回はいつも通りビジョンばかり書いて終わってしまいました。3つの会社を経験してきたことがあんまり活かせていないので,今後はそのことを書いたり,もう少し「はたらくとはどういうことか」ということを書けたらいいなと思っています。

数値化できないこと

 大体3年間くらい所属していたサークルをついこの前,やっと引退しました。
 右も左もわからなかった1年生の頃を思い返すと,時間は長いようで短くて,なんだかあっという間に終わってしまったなあ,なんて風にも感じます。そんな中できっとぼくは「けっきょくサークルでなにを学んだのか」ということを,ずっとずっと,考えてきました。「これだ!」という答えは今も出ていないままなのですが,なんとなく思いがまとまったので,書いておくことにします。
 そんなの「楽しかった」だけでいいよね,というのも思わなくはないのですが,やっぱり人間はじぶんの行動に意味を見出したくなってしまうのです。
 
 ぼくが所属していたサークルは,ESSというサークルでした。
 これだけ聞いてピンとくる人はきっと少ないはずなので,少し解説しておきましょう。ESSとはEnglish Speaking Societyの略で,要は英語を楽しくしゃべろうね,というサークルです。
 ひとくちに「英語を楽しくしゃべる」といっても,活動内容はさまざまでした。観光に来た外国人の方を案内する「ガイド」,みんなの前に立って話す「スピーチ」,そしてぼくが最も多くの時間を捧げた「ディスカッション」。ディスカッションとは,あるひとつのテーマについて英語で話し,それぞれの価値観を共有したり,議論を深めたりして,新しいなにかを発見していく,といったものです。たぶん,なにをするのか実際にはよくわからないと思うのですが,大体そんなものだと思っておいてください。ぼくが具体的にESSでなにをしていたのか,というのは今回の話において,そんなに大きな意味を持ちません。
 
 さて,そんな中でこのサークルについて語るとき,やっぱり「数値化できない」っていうことが大きな意味を持つんです。
 ぼくらの活動のほぼすべては数値化されることがありませんでした。「英語で楽しくしゃべる」ことが第一の目的であるからです。そこには能力を示すランクもルールもありません。英語がうまい人もいれば,下手な人もいる。でもみんな英語を楽しんでいる。そんな空間だったのです。
 個人の能力が数値化されないのと同時に,団体としての能力や成果も,なにもかも数値化されることはありませんでした。先に挙げた「ガイド」や「スピーチ」,そして「ディスカッション」といった活動は,なかなかひとつの大学で実現するのがむずかしいものです。だからこそ,どこかの大学が「主催」となってイベントという形で開催し,それらの活動を楽しむ場を提供します。
 何度も言うように,そこにはランクもルールもありません。ぼくが行っていたESSの活動は「競技」ではないからです。イベント自体もそうです。ある大学がイベントを主催したとして,それが「成功」なのか「失敗」なのかを判断する基準が存在しないのです。当日特にトラブルが起きなければいいよね,くらいのものでしょう。
 
 ぼくはそんな環境がはじめ,あんまり好きになれませんでした。
 なぜなら「数値化できない」ということは,ある種の甘えを持つからです。
 なにか改善点があったとして,それを改善したとしても,それがよかったのか悪かったのか,指標がまったくありません。向上心があったとしても,それを「確かめる」ことができないのです。それがぼくらの活動が,いわゆる競技やスポーツとは大きく異なる点でした。「楽しければそれでいい」という感じです。
 もちろん「英語を楽しむ」だけではダメで,同時に「英語をうまくなりたい」と思っている人がいます。それでそのために色んなことに取り組むのですが,それがうまくいっているのか,そうでないのかがわからない。そんな環境でした。そんなのやったって意味ないじゃん,くらいに思っていたこともあります。
 
 でも実はこういう環境って意外と多いんじゃないのかなって思います。
 特に大学生がやる「サークル」とか「ボランティア」は,大体そんな感じです。
 競合他社と差別化をはかり,きちんとマネタイゼーションをして,収益に結びつけていく,ということをする必要はありません。もともとが余暇を使って行う活動なので,暇を持て余している大学生から会費を適当に集めていれば活動は続いていくからです。別に数値化をする必要はないし,ゆるゆる活動を続けていけばいいからです。逆に,そこまでの必死さやある種の殺伐とした感じというものを,その活動に参加する人は求めていません。
 だってそんなの,なんだか会社みたいですよね。
 みんながじぶんや組織の能力を最大化するために躍起になっていて,そこは「数値化」に支配されている。じぶんの能力を示す「数値」は,営業成績だったり役職だったり,給料だったりするところで現れてきます。そしてそのスコアは,なるべく高いほうがいい。
 数字というのは,ものすごくわかりやすいものなのです。数字を使うと,色んなことが見えるようになったり,分析できるようになったりします。いわゆる「ビッグデータ」と呼ばれるもので,とにかくたくさんデータを数値として集めてきて分析すれば,なにがなにと相関関係にあって影響しあっているのか調べることができます。
 だからやっぱり「数値化すること」はとてもいいことであるように思えます。
 
 でも,ESSに属し続ける中で,それだけじゃいけないんじゃないかな,っていう気も同時にしてきたのです。もちろん「数値化」はものすごく便利だけれど,数字だけじゃうまくいかないのです。ばっちりデータで示されていても「なんかこれだとうまくいきそうな気がする」とか「なんかこれだとうまくいかなさそうな気がする」とか,そういうふわふわした「感じ」はどこまでも残ってしまうからです。
 しかももちろん,すべてのことが数値化できるわけではありません。「楽しさ」とか「心地よさ」とか「じぶん自身の成長」なんてものはなかなか客観的には測定できないので,なんとか実感していくしかありません。そういう「感じ」も無視するべきではないのです。
 仮に数値が出ていなくても,なんか楽しい「感じ」がするのならば,それは進めるべきなのかもしれません。逆に数値が出ていても,なんか嫌な「感じ」がするのならば,それはやめるべきなのかもしれません。
 ときどきやろうと思っても,ESSを続ける意味は数値化し分析することはできませんでした。きっとそういう点でもぼくは「感じ」に支配されていたし,合理的でありつづけることになんらかの抵抗をしていたのだともいえます。
 
 こういうことは,最近いろんなところで言われている「人工知能」とか「IT化」とかいうところにも結びついているのかもしれませんね。なるべく人間よりもAIとか機械にまかせた方が,数値としての作業効率や生産性は大幅に向上するでしょう。でもそこで,先に述べた「感じ」が邪魔をするのかもしれません。客観的にはわかっていても「感じ」が邪魔をする,というのが,ぼくらが人間らしくあるという,最後の砦の1つなのかもしれません。
 
 けっきょくぼくがESSというサークルに属する中で学んだ中で最も重要なことの1つは「数値化できないこと」すなわち「『感じ』も大切にすること」だったといえます。もちろん数値化も大事なのですけれど,それだけじゃだめだということです。「なんかよくわからないけど,これは大事だと思う」ということを大事にしていかなければいけません,ね。
 人間はそれほど合理的にはできていないし,なかなか数値化して分析するというのもむずかしいものです。もちろん社会に出たり,自身の言動になんらかの説得力を与えたいときには「数値化」は重宝するのですけれど。ゆるふわな大学生のうちは,そういう「感じ」に浸かっておいてもいいのかもしれません。
 こんなことはきっとその辺の心理学や哲学っぽい本にはさらっと書いてあるのでしょう。でもこういうことにじぶんで気づいて,文章として残しておくということは「なんかよくわからないけど大事」だと思うのです。だから今日,こんな文章を書いてみたのでした。
 

 
 最近しばらく「書く」ということから遠ざかっていました。あれほどまで好きだった「書く」ということから,こんなに簡単に離れられるのか,とじぶん自身にやや呆れることもあったのですが,けっきょく今こうして文章を書いています。
 上にも書いたように「引退」ということで,ぼくも「先輩」になってしまいました。じぶんが悩んでいたようなことを相談してきてくれる後輩のことは本当にかわいいし,なんとかしてあげたいな,とも思うのですが,けっきょくこういうことはじぶんで見つけていくしかないのかもしれません。
 やっぱりぼくは書くことが好きだし,書かないと生きていけないみたいです。
 LINEやFacebookでも「文字を打ち込む」という意味での「書く」ということはできるのですけれど,それはこういうブログとはなんだか異なるように感じます。というのもLINEでは相手が確実に存在するし,Facebookの場合でも「いいね!」ボタンかなにかで,こういうブログよりは読み手に近いように感じます。
 前にもこんなことを書いた気がしますが,やっぱりこうやって「だれが見ているかわからない」という状態で文章を「公開」することでしか,ぼくは生きていけないのかもしれません。これはかつて「あみめでぃあ」に書いたことにもつながることです。また上に書いたことは,以前にも書いたわかりやすい,はえらくない?にもつながるのかもしれません。
 なんだかんだ述べていることは9ヶ月前とあんまり変わらないような気もしてきましたが,それだけぼくにとっては「大事な感じ」がするということなのでしょう。
 アルバイトのこと,これからのこと,コンピュータのこと,文章のこと,ブログのことなどなど,まだまだ書き足りないことはたくさんあります。なんとかこれからも文章を書いていければいいのになあ,とは思うんですけどね。

ぴゅあだった頃の夏の話

 夏が来るといつも思い出すことがある。
 それはぼくが中学3年生だった頃の話。その頃はぼくもぴゅあだったし,色々なことを考えていそうで,ぜんぜん考えていなかった。いわゆる中学生であったし,厨二病はいい感じにこじらせていたし,要するに,世界をぜんぜん知らなかった。そんな中で経験したことを,せっかくだからちょっと書いてみようと思う。
 記憶を頼りに書くので,一部で事実を反するところがあると思う。まあでもそろそろ時効だし,せっかくの夏だから,たまにはこういうことを書いておくのもいいだろう。最近ちょっと小説チックの本を読み始めていて,こういう文章も書きたいな,と思っていたというのもある。
 「思い出す」ことであるので,これがすべて事実であるとは限らないし,記憶違いもあるだろうけど,その辺はなんとか勘弁してください。
 
 中学生の頃,ぼくはサッカー部に入っていた。
 サッカーが好きとか,運動が好きとかいうことはあんまりなくて,「とりあえずなにか部活に入らなきゃなあ」とか思って入ったんだったと思う。もともと運動はそんなに好きじゃなかったし,サッカーなんてやったことはなかった。だからあんまり上手くないけど,友達も何人かできたしなあ,くらいでずるずると所属し続けていた。
 中学生は中学生なので,恋愛をしてみたいと思っている。
 でも別にそういうのは知らないし,彼女ってなんのことかよくわからないし,でもなんだか興味はあって,色々とよくわからない毎日を過ごしていた。まあつまり「ぴゅあ」だったのだ。
 そんなこんなで中学生活は過ぎていき,3年生の春になった。
 
 ある日,部活のキャプテンが言う。
「罰ゲームを賭けて,PK勝負をしよう。」
 あんまり乗り気ではなかったけれど,周りもやりたがっているし,負けなければいいのかな,くらいに思っていた。
 お察しの通りぼくはPK勝負に負け,罰ゲームをやらされることになる。その罰ゲームがどんなものであったのかというと「好きな女の子の名前をみんなに教えて,実際に告白をする」というものであった。中学生がすぐ考えつきそうなことだ。
 
 そういうわけで部活が終わったあと,グラウンドのサッカーゴールの脇にサッカー部全員で集まって,円をつくる。
 もう逃げられない。そこでぼくはその子の名前を告げさせられたのだった。
「まあたしかに,かわいいよね」
「最近イメージ変わった子か」
「でもお前その子と話したことあるの?」
 それが1番の問題だった。
 そのときのぼくは,ぜんぜん話したことのない子を好きになってしまっていたのだった。今思うと「一目惚れ」とも言えるだろうか。
 その子はたしか生徒会かなにかをやっていたのだったと思う。全体の前に出て色々と話すその子の姿はなぜか魅力的で,好きになっていた。
 
「じゃあ告白して振り向かせるしかないじゃん」
 だれかが言った。まあそれはそうなのだけれど,それが簡単にできれば苦労はない。呼び出して告白すればいいのだろうけど,そんなことしたら恥ずかしくて死んでしまいそうだった。
「そういえば修学旅行が近いよね」
 ぼくの中学校では3年生の春に修学旅行に行く。修学旅行は1週間後くらいに迫っていた。修学旅行で告白,というのは中学生にとっては「定番」に見えた。それに,ここまで盛り上がってしまった「チュウガクセイ」のテンションを鎮めるのは無理だった。
 
 そんなわけで,ぼくは彼女に告白することになった。
 今思うと,話したこともない女の子に告白するなんて,された方はされた方で迷惑だったのだろう。まあでも,それが中学生という生き物だった。
 特になにをするわけでもなく,修学旅行のその日はやってきた。修学旅行は3泊4日で,2日目の夜にやることになった。彼女の部屋まで出向いて告白をする,という今思い返すと穴だらけの作戦。
 もうその頃にはこの告白は「サッカー部を挙げての一大プロジェクト」のようなものになっていた。女子階へ男子が侵入するのは表向きには禁じられていて,何人かの男子が教師の監視の偵察役になってくれていた。
 そのときの修学旅行の部屋割りは全員ツインだった。彼女と同室の女の子とは知り合いであったため,すれ違うと「告白するんでしょ,がんばって!」と言われて頭を抱えたけれど,そのときは来てしまった。
 
「今ならだれもいない,行ける!」
 そう言う「偵察役」のセリフとともに,ぼくは彼女の部屋の前までたどり着いた。インターホンを押すと,彼女と同室の仲のいい子が出てくる。
「いまお風呂中なんだ,また後にして」
 完全にタイミングを逸してしまったけれど,これではサッカー部の奴らになんて言い訳したらいいのかわからない。仕方ないので一度じぶんの部屋に戻ってしばらく時間をつぶし,再度インターホンを押す。
「なんでしょう?」
 もう逃げられない,言うしかない。湯上がりの彼女はふだん学校で見る制服姿とは違っていて,すごく魅力的だったのを覚えている。
「いやえっと,あなたのことが好きで。見ててすごく魅力的だなあ,なんて。」
「えっ…ありがとう。でも私あなたのことよく知らないから……。メアド交換とかから始めてもいいかな?」
 まあそう来るだろうなとは思っていた。話したこともない人にいきなり告白されるなんてよく考えたら迷惑すぎる。けれど,彼女の対応はものすごく丁寧だった。
 そんなこんなでメールアドレスを赤外線通信で交換して,部屋に戻る。すぐメールをして,次の日も楽しみだねとか突然ごめんとか,そういう他愛ないやりとりをしたんだと思う。そうやってぼくらは「友達」くらいにはなっていった。
 
 そのあと1ヶ月くらいはずるずるメールをしていた。ほとんど毎日メールをやり取りしていると,もっと好きになってしまうものだった。学校では話さないのに,メールではたくさん話す。そういう関係が少し不思議だったのをよく覚えている。もっと近づきたいけど,この距離感も居心地がいい。そんな感じでずっとメールしていた。
 これで終わってもよかったのだけれど,この話にはもう少し続きがある。
 
 「そういえば告白してあのあと,どうなったの?」
 サッカー部の友人が聞く。考えてみればぼくは報告などしていなかったわけで,気になるのは当然のことだろう。
 「断られたわけではないんだけど,別に成功したわけでもなくて,ほとんど毎日メールしてる」
 「え?じゃあもうひと押しでしょ」
 次の日には,ぼくがぐずぐずしていたことをあるサッカー部員にとがめられる。せっかく後押しして「告白」させたのに,友達になりました,だけではやっぱりおもしろくないのだろう。でもその頃にはぼくも彼女のことをかなり好きになってしまっていて,「もうひと押し」は必要にも思えた。
 
 「明日の部活が終わったら,ちょっと話すことがある。」
 こんな内容のメールをして,前日の夜は寝ることにした。その頃からなんだかドキドキして,もしかしたらこの関係は終わってしまうのかもなあ,とも思っていた。
 そしてほとんど右から左へ授業の内容を受け流していると,部活の時間になった。ぼくはグラウンド,彼女は体育館で練習していたので,練習終わりの彼女を呼び出してもらう。
 「はじめて告白したときから好きだったんだけど,メールしていたらもっと好きになった。付き合ってくれませんか。」
 しばしの沈黙のあと,
 「うん。わかった。ちょっと考えさせて。じゃあね。」
 もうだめかな,と思った。
 結局その日の部活では返事はもらえず,なんとももやもやした気持ちのまま家に帰って,学習塾に行く。休み時間にトイレで携帯電話を開くと,メールが来ていた。彼女からだ。もうドキドキはほとんどMAXで,すぐメールを開く。
 
 
 「おねがいします。」
 なんかもうただただ嬉しくて,「やった…」とかひとりでにつぶやいたのを覚えている。告白してOKされるというのは,じぶんが今まで生きてきたというのが認められたようで,ものすごくうれしい経験なのだった。
 彼女は「彼女」になり,ぼくは「彼氏」になった。
 けれど,中学生のぼくらは「付き合う」ということがどういうことなのか,あんまりよく知らなかった。お互いの呼び名を考えたり,時間を合わせて一緒に登校したり,下校したり,どんなところが好きかメールしたり,それがぼくらにとって「付き合う」ということだった。適度にまわりに冷やかされたり,でも好きだったり,学校だとあんまり恥ずかしくて話せなかったり,とにかくそんな感じだった。
 
 そんなこんなで3ヶ月くらいが過ぎた。
 少しずつメールの間隔が長くなったり,夏休みになって会えなくなったりした。きっとその頃のぼくは「彼女がいる」という生活に,慣れてしまっていたのだろう。会いに行こうと思えば会えたし,話そうと思えば話せたし,メールを送ろうと思えば送れたのだけれど,なんでかそんな気にはならなかった。高校受験を言い訳にしながら。
 何度も書くことだけれど,そのときのぼくらには「付き合う」ということがどういうことなのか,全然わからなかった。
 「なんで好きかわからなくなった,別れよ」
 というメールで,ぼくたちは別れることになって,今までの「友達同士」に戻った。不思議と悲しかったり,別れたくなかったりはしなかった。ああ,終わるんだな,とか,そんな感じで不思議とドライにとらえていたことを覚えている。
 彼女に会いに行こうと思えば会えるし,話そうと思えば話せるし,メールを送ろうと思えば送れるのだけれど,そのまま関係が変わることはなにも,なかった。
 
 これがぼくがぴゅあぴゅあだった頃の夏の話だ。
 高校生のときに駅で偶然すれ違って,ちょっとメールをやり取りしたり,そのあと何年か誕生日メールだけは来ていたり,成人式のときに会った大人びた彼女が可愛かったりしたのはまた別の話だ。
 まあ,こういう話がひとつくらいはあってもいいのだろう,と,夏が来るたびに思い出す。

専攻を語ってください

 誰かが誰かの専攻を語るのを聞くのが好きだ。
 ぼくの周りの大学生は,そろそろ専攻が決まってくる頃なので,よく「そういえばなにをやっていたんだっけ?」という質問をする。そういうとき大抵は目をキラキラと輝かせながら「えっとね…」と話してくれる。そうやって話す相手はものすごく楽しそうだし,そうやって話す相手を見ているのも楽しい。
 ぼくがまだ高校生だった頃,現代文のE先生がよく「大学は学問をするところだ」と言っていた。考えてみれば大学というのは「高等教育機関」であるから,今までの高校生活でやっていた「勉強」とは違った「学問」がそこにはあるんじゃないか。そんな風にも思っていた。
 そしてぼくらは,専攻を決定していく。もちろん大学によってそれはバラバラで,1年次にある程度細かく決める人もいれば,2年次とか3年次にする人もいる。とにかく,学年が上がるにつれて,専攻というのはより細かくなっていく。
 
 でも,なんでぼくは専攻を語られると楽しいのだろう? と少し考えてみた。その質問には意外とすぐ答えが出た。たぶんぼくは「その人の世界の見方がある」と実感するのが好きなんだと思う。たぶん。
 その人が1番好きな見方で,世界を見ていく。そうやって専攻について語られると,なんだか世界が少し違っているように見える。そういうのがきっとものすごく,おもしろいのだろう。
 生きていく中で,ぼくらは色んな常識や経験を身につけていく。そこで色んなものに興味を持ったり,つまらなく思ったりしながら,専攻を決めていく。専攻を決めるという行為には,今までの人生が凝縮されているような気がして,なんだか特別なことのように思える。
 
 しかもそれは,じぶんが選ばなかった道なんだ,ということも意識するとすごくおもしろい。専攻を決めるときにぼくらは,上で書いたように「それが1番おもしろい」と思って決める。だからときどき,その「じぶんが見ている世界」がすべてであったり,もっとも優れている(?)と感じたりする。
 でもだれかに専攻について語られると,そうじゃないんだ,ということに気づける。じぶんが見てきたり,興味を持ってきたりした世界がすべてではないのだということ。世界にはもっと色んな見方があって,世界はもっと広いのだということ。こういうことを意識できる。
 そういうことも同時に,ものすごく好きなのだろう。
 
 というわけで,ぼくは「専攻を語られる」のが好きだ。だれか語ってくれませんか。

ぼくと大人と新幹線と

 小さい頃から,ぼくは新幹線が好きでした。特に好きだったのは住んでいた愛知県を走る東海道新幹線で,幼いときはずっと「のりもの図鑑」や「でんしゃ図鑑」を読んでいました。
 子どもはやっぱり大好きな新幹線に乗ったり,見てみたりしてみたいものです。けれどぼくの家は新幹線の線路からは遠く離れていましたし,母親の実家はぼくの家から車で20分ほど。なかなか乗る機会はありませんでした。
 生まれて初めて新幹線に乗ったときのことは,今も覚えています。家族旅行で関西に行くときのことでした。家族4人で1区間だけ新幹線に乗ったのです。今思うと家族4人で新幹線で移動,というのはかなりの出費だったことでしょう。たしか100系だったかな。
 新幹線が大好きなぼくに見かねて乗せてくれた母親には感謝ですね。
 
 そんな中で,ぼくにとっての新幹線はやはり「特別」であり続けたのです。特別なときにしか,ぼくは新幹線に乗れなかったからです。
 それは常に旅行や大事な移動を含んでいました。あるコンテストの授賞式で,修学旅行で,部活の遠征などなど。愛知県に住むぼくにとって,関西や関東への移動はいつも新幹線でした。
 乗っているときは,それはそれは興奮していたことと思います。無駄に車内をウロウロしたり,普段の電車の2~3倍の速さで移りゆく景色にわくわくしたりしていました。
 
 しかし,そんなに「特別」だった新幹線が,今はそうではなくなってしまいました。あまりにも新幹線が身近になりすぎてしまったからです。
 東京に住むことになったぼくは,愛知に帰省するのにほぼいつも新幹線を利用します。それはほぼ数ヶ月に一度のペースで,乗る列車や区間もいつも同じです。
 新幹線に乗るのにわくわくすることは減っていきました。景色も見ずに寝ること,Macをぽちぽちすることが増えました。
 
 けれどひょっとしたら,それが「成長」とか「大人になる」ということなのかもしれませんね。「特別」だったものが,「特別」ではなくなっていくということ。わくわくしなくなること。
 ぼくがこれから先どんどん年を取っていくにつれて,そういう経験はもっともっと増えていくことでしょう。そしてそれがきっと「人生」というものなのです。
 なるべくならすべてのものに「わくわく」とか「はじめて」を感じていたいんですけどね。どうやらそういうわけにもいかないようです。
 
 ぼくが「特別」だと思っているものが,あの人には「特別」ではない,というのは,ぼくにとって「大人」を感じるのに充分な事実でした。*1つまりぼくの「特別」があの人にとっては「自然」であるということ。
 忙しそうにPCを開いて新幹線に乗っているビジネスマン,スーツケースを転がしながら新幹線に乗る若者。ぼくはそんなところに「大人」を感じていたのです。
 
 そしてぼくはそんな「大人」に憧れていました。21歳という法律上は「大人」であることを求められる今であっても,ぼくはそういう「大人」に憧れています。
 できることならば,そういう「大人」になりたい。ちょっと恥ずかしくて意識高いけれど,そう思うのです。ときどき新幹線に乗ると見かける,ぼくより若い子供たちにどう見られているのでしょうか。
 そういえばかなり前に見たマクドナルドのチラシでこんなものがありました。
 

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 昔見たときはあまり意味がよくわからなかったけれど,今ならなんとなく言いたいことがわかるコピーです。ぼくも「ちっちゃなとき見た」あの大人になれているでしょうか。
 もちろん小さな子どもというのは大人の「いいところ」しか見ませんし想像しません。子どもが思っているよりつらいことはたくさんあります。ぼくの年齢でそうなのですから,もっと年が多い大人ではなおさらでしょう。
 10年後くらいにこの文章を読み返したら,どんなことを思うのでしょう。ちょっとだけ楽しみです。
 
 そんなことを新幹線の中で「シンカンセンスゴクカタイアイス」を食べながら書き始めました。アイスは硬かったけど,美味しかったです。

*1:「あの人たちは、私の知らない楽しみ方を、心から知っている」というのは、私にとって「大人」を感じるのに充分な事実でした。

わかりやすい,はえらくない?

 少し前に「わかりやすいは1番えらい」といった内容の記事を書いたのですけれど,やっぱりそういうわけでもないかもな,と思うことが最近多いので書きます。
 ぼくはずっと「わかりやすいこと」が好きでした。そしてそれを目指してきました。わかりにくいと伝わらないし,誰も読んでくれないと思っていたからです。
 じぶんの中に何か《伝えたいこと》があって,それを伝えるためになるべく「わかりやすく」する。ぼくにとって書くことやコミュニケーションはそういうものなのかなあ,なんて思っていました。

 でも《わかりやすい》は1番えらいわけではない。最近は本当にそう思うのです。《わかりやすい》はひょっとしたらつまらないかもしれない。そうも思うのです。
 「わかりやすい」はしばしば《具体的》であることと言い換えられます。《具体的》であれば,なるべく多くの人が簡単に理解できます。容易にイメージできるからですね。
 一方で《具体的》の対照的な言葉である《抽象的》はしばしば「わかりにくい」ものだとされてしまう。簡単にはイメージできないし,じっくりと噛み締めないとわからないからです。

 そして人間は「わかりにくい」ものや「わからない」ものが嫌いです。なぜならそれは「怖い」に直結してしまうからです。未来のことが「わからない」から「怖い」のかもしれません。お化けが怖い人も,お化けが「わからない」から「怖い」のかもしれません。
 でもそうやって「わかりにくい」から逃げ続けていてもあんまりよくないのかな,とも思うのです。「わかりにくい」にしっかりと向き合うこと。これはものすごく大事なことだと思うのです。

 そんなことを「あみめでぃあ*1」を書くうちに思い始めるようになりました。
 くわしくは上の段落内でのリンクを見てくれると嬉しいのですが「あみめでぃあ」のテーマは「《概念》を語る」ということです。
《概念》というのはそれこそ《抽象的》であって,かなり「わかりにくい」ものでした。

 ぼくもなんとか《概念》を書いてみたのですが,すごく難しかった。考えて考えて悩んで,でもそれでも向き合って,なんとか書けたくらいのものです。
 あんまり自覚はしていなかったけれど,今は「ぼくは「わかりにくい」《抽象的》から逃げていたのかな」と思います。普段から色んなことを考えているつもりだったけれど,本当は考えていなかったのかもしれません。ものごとに対して「これはどういうことなのか」とか《本質》をとらえることから,逃げていたのかもしれません。

 「あみめでぃあ」の編集長のらららぎさんが,ぼくの書く文章について以下のように言ってくれました。

確かにぐらふくんの文章は具体に富んでて分かりやすいので、具体における分かりやすさ(速効性=ラノベ的•はてなブログ的)の他に、抽象における分かりやすさ(遅効性=詩的•思索的)の使い分けもできるようになれば、より一層面白い文章が書けるようになると思いますよ。

 これを言われた当初は「そんなことないだろう」と思っていました。けれどしばらくした今,たぶんそういうことなんだろうな,と思うのです。
 「『わかりやすい』はえらい」というのは確かにそうなのですが,ぼくが求め身につけてきたのは即効性をもつ「わかりやすさ」だったのでしょう。

 思えばぼくはずっと「わかりにくい」ものと戦ってきました。身近な例を挙げるとすればそれは数学です。数学というのは「数」という概念を扱う学問です。
 概念を扱えるようになるのはものすごく難しいです。それは《抽象的》であって「わかりにくい」ものです。
 けれどしっかり向き合い,訓練を重ねながら*2ぼくらは《概念》を獲得していくのです。はじめは「学校でやれと言われているから」とか「なんとなくおもしろそうな気がするから」とかそんなものかもしれません。けれど,ひとたび「概念を身につけた」あと,ぼくらの世界は広がっていたはずです。世界の見え方は少し,変わっていたはずです。

 そんなことを「あみめでぃあ」に参加するうちに思うようになりました。《概念》や《抽象的》であることからは,きっと逃げてはならないのです。
 もちろんそれが「よりよく生きるため」に必要であるから,ということもできるのですがそればかりではありません。《概念》や《抽象的》であるということは,ぼくらの世界を広げてくれるのです。そしてきっとそれは,ものすごく楽しい。
 「あみめでぃあ」に参加することで,今までずっと向き合ってきた「書く」ということにも,ある種のブレイクスルーが生まれたように思います。

 そして「あみめでぃあ」に参加する人たちは,本当の本当に「おもしろい」人たちばかりです。編集のちくわさん,らららぎさんをはじめとする人たちと,らららぎさんのシェアハウス「ヌーベル」で語り合うひとときは,本当に素晴らしいものです。
 あの空間に行くたびに,ブログ記事が1つ書き上がるような気さえするのです。

 そんなこんなで「書く」とか「文章」のことばかり書いてきたこのブログですが,こんどぼくの書いたものが実際に紙の本となって形になります。宣伝というわけではないですが,ぜひお手にとっていただけますように。
 ぼくが「わかりにくい」ものに向きあおうと思えたように,あなたの「わかりにくい」ものに向き合うための手がかりが,ひょっとしたら転がっているかもしれません。

chiasma.bangofan.com

今度の5/4にある文学フリマで販売します。実際に文フリ会場までお越しいただいても,通販フォームに入力いただいてもいいですよ。

*1:参加している「みんなでしんがり思索隊」という共同ブログの方々でこんど出すゆるふわ評論系同人誌。くわしくはリンク先のWebサイトをご覧ください。

*2:いわゆる演習というやつをくり返すことでしょうか。講義を聞くだけではわからない《概念》を頭の中に叩きこむことができます。