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たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

知名度と引き換えのもの

  今の時代はお金が絶対的な価値をもつ時代ではなくなってしまったという話はしばしばされていて,僕もそれは確かにそうなんじゃないかなあと最近割と強く思います.ボランティアが始まりくらいだと思いますけど,ボカロ曲や一連の著作権関連の話,無料アプリがこれだけ発展している今の時代を考えると,お金よりも,人気であったりとか知名度であったりするものの方が価値として重んじられるようになってきたような気がします.もちろん,近代社会のように,かなりはっきりした形でモノの売り買いが行われていないという意味であって,例えばGoogleなんかは広告をうまく使ってきちんと利益を生み出していますし,今でも日常生活のほぼすべてがお金しでは行えないことも考えると,お金の価値は完全に衰退しているわけではないですよね.このことも話せば長くなってしまうようなので今回はやめておきます.
  お金の価値の衰退の話はまあこのくらいにしておくとして,でも確かに,知名度がこの時代の人間を満足させるかなり重要な指標の1つとなってしまっているのは事実であると思います.例えば彼女を欲しい人がいたとして,彼女が出来たというだけで満足してそれでおわりということはほとんどなく,多くの場合は周りに見せびらかすとかそういう形でどんどん欲望が発達していって,満足することはありません.他社に承認されたいという欲求が尽きないなかでSNSに出会ってしまった人間は,そりゃあ食いついてしまうよね,と思うんです.
  人間は社会的な関係の中で生きる生き物です.そして欲望が永遠に尽きない生き物です.ライオンは必要以上な獲物は取らないとか(本当かどうかわかりませんけど)いうよくある話の中でもあるように,そのような点が人間と他の動物を区別する重要な点でもあります.他者に承認されたい欲求が強くて,なおかつその欲求が永遠に尽きない人間にとって,SNSはいうなれば最高のツールのひとつであったと思うんですよ.
  多くのSNSにおいて,知名度を得るのにお金はかかりません.考えてみればそれもそのはずで,まず知名度を正確に表す数値が存在しないため(フォロー数,フォロワー数はそれに準じるものではありますが,正確に示しているかどうかと聞かれるとかなり微妙です),知名度を得られているか,他者に承認されているかどうかは,自分の実感でしかありません.欲求が尽きない人間がそんな実感でしか感じられないものを途中で制限することができるのかというと,そんなはずもないですよね.
  少し前に,Twitterを使って炎上してしまって,司法のお世話になってしまう高校生がいた,という話題に対して,大人の方々が「あれだけのことをやったのにどうしてインターネットをやめないのか」というtweetをしていました.というのもそういうことをしてしまった高校生は,その後もTwitterをやめなかったそうです.僕はやめられないのもある意味では当たり前なのかな,という風にも思ってしまうんですよね.
  手紙から電話,電話からインターネットという風にコミュニケーション手段がどんどん発達してきて,より瞬時に,より多くの情報を伝えられるようになりました.僕達の世代は物心ついた時から多すぎるともいえるコミュニケーションに接していて,それらは周りに溢れかえっています.だからもう,誰かと繋がっていないことは考えられなくて,誰かとつながっていることがあたりまえ,誰かと繋がっていないとどうしようもなく不安になってしまう.そういう風に,生まれた時からそうなってしまっていました.インターネットやSNSは日常に入り込みすぎてしまっている.僕達にとって,インターネットは母語や呼吸のそれと等しいというレベルまで達してしまっているような気がしてしまうのです.
  こういうツールの使い方について学校で教えろとか,家庭で教えろというのは全くずれているとしか思えません.あまりにも近くにありすぎて,もはや呼吸や母語のようなものになってしまっているものについて,何を教えればいいんでしょうか.考えてみれば,SNSの使い方を学校で学んだからとか,本で読んだからSNSやっているわけではないんですよねきっと,周りがやっていたからとかで始めてみて,いつの間にかやめられなくなっていた,そういうものだと思うんですよ.だからきちんとした説明書(もちろんそんなものないですけど)を読んで始めたわけではなくて,全部みんな自己流です.
  でも問題は,そういう風に簡単に使えるツールとしては,インターネットはあまりにも強大で,途方も無いものだったことです.携帯電話やスマートフォンから簡単にアクセスできて,いつも身近にあるのに,その実体はとんでもなく大きいもので,そもそも実体があるのかどうなのかもわかりません.高校生とかそういう時期は,自分が世界の真理を知ってしまったかのように錯覚してしまう時期です.自分は生きてきて,世界の広さとか奥深さを何一つ知らないままなのに,自分の経験則やこれまで得たことで世界が回っていると信じてしまう.自分のまわりのことが,世界中どこでも起きていると思ってしまう.
  最近のSNSはほとんどが,自分の身近からはじまっていきます.それが身近であるがゆえに,どんどんユーザが増えていって,多くの人のSNSは身近で完結してしまうことが多い.ほとんどが顔見知り,ほとんどが知り合い.そんな中で,日常生活と同じようにTweetしてしまって炎上する,そんなケースが見ていて多いような気がします.高校生が知るよりも世界はずっと広いし,あんまり優しくない人だっている,そういうことを知らないまま強大なツールを手にしてしまっておこる問題であるとは思うんですよね.これも便利さの代償みたいなものなんでしょうか.
  ある意味で平和ボケしてしまっています.今の高校生って,プライバシーの尊重とかいうものを一種のイデオロギーとして使います.でもその反面,SNSには自分そのものとも言えるようなものをひたすら投稿している.そういうのも変だなとも思うんですよね.SNSというのはそもそも共有するためのものであるようにも思えますし.日々のtweetが意図せぬライフログとなって何年か先の自分にのしかかってくる時代にもうなってしまっているのかもしれません.
  ここまで書いて平凡な結論で非常に申し訳ないんですけどやっぱり僕は,習うより慣れろだと思うんですよね.包丁の使い方を実際に指を切って学ぶように,実際に失敗してみないと学べないことがあるように感じるのです.Twitterで高校生が炎上したり,reply爆撃をすることに対して,若年層の残虐性とかいう観点からあれこれ批判する大人もいますがそういうことはあんまりなくて,ただ使い方を知らないだけなんじゃないかな,とも思ってしまいます.ピストルの使い方を知らない子供が誤って打ってしまったような感じで.
  これから今まで以上にSNSは身近になっていくでしょうし,もっと新しいサービスも増え,今まで以上に依存していくことでしょう.でもその反面で,上に述べたような炎上のようなものもきっと増えていくんですよね.失敗して学ぶことが大事だと述べましたが,TwitterSNSで一旦失敗してしまうと,もうそれで人生がそれなりに詰んでしまうという局面にまで達してしまったのは非常に残念です.昔はネットゲームのような,もう少し匿名性があって,もう少し狭いコミュニティが存在し,そこで少し炎上しておくことで,そういうことも学べたのですが.
  いつもどおり何の話だかさっぱりわからなくなってしまいました.でもやっぱり,SNSとの付き合い方?みたいなものはそれなりには考えておく必要があるのかな,とは思いました.おしまい.

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  そういえば今回からメモのようなものを使ってブログ記事を書くようになりました.なんだか少しだけさくさく書けていいですね.最近Evernoteやカレンダーアプリ,リマインダーをやっと使うようになって,メモの大切さを実感しています.そのへんのクラウド関係の話もそのうち書けたらいいな,なんてぼんやりと思っています.誰得??って感じですけど.