たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

家庭教師はやった方がいいけど,やめた方がいいよ

     家庭教師のアルバイトを4月頃から始めたんですが,ちょっと前にやめたというか,クビになりました.今までの総評というか,これから家庭教師のアルバイトを始めたい人向けに少し伝えておきたいこともありますので,書くことにします.なるべく文句にならないように書きますが,文句になったらごめんなさい.あらかじめ謝っておきます.可能な限り中立的な立場で,メリットとデメリットの双方を書くことにします.

     担当していた生徒は小5で中学受験を控えていました.
 それほど偏差値が高いわけでもなく,55くらいのところを目指しつつ50切るくらいという子でした.理科と算数を教えていました.愛知県であんまり有名ではない中学校を受験した経験があるので,それを買われてということでしょうか.週1で2時間教えて夕食を出してくれました.待遇は悪くないというよりむしろ最高レベルです.それでは家庭教師というアルバイトのいいところと悪いところを1つずつ見ていくことにしましょう.
 
     まず,成績が上がるかどうかは最も重視されます.もちろんそれは偏差値とか点数のうえで.
     成績が上がっているか,(目標とする位置で)安定していれば何も文句は言われませんが,下がってきた瞬間に,直接的ではないとしても,色々と苦言を呈されることが多いです.彼は日能研に通っていたためテストは多かった.範囲の狭い確認テスト,範囲の広い確認テストで偏差値は行ったり来たりを繰り返していました.
     偏差値なんて受験する直前に目標とするレベルまで達していればそれでよく,あんまり気にする必要はないですよ.ということを伝えたのですがなかなかわかってもらえませんね.どう見ても教育熱心なお母さんという感じでしたし,アルバイトとはいえかなり高額の授業料を収めてくれているわけです.保護者の方にしてみたら,なるべく金額相応もしくはそれ以上の働きをしてほしいといったところでしょう.
     多くの方はご存知かと思いますが,成績に直結する教え方というのは難しいです.ここで少し中学受験のお話をすることにしましょう.
     見てきたところ,中学受験の問題において,単に知識を問う問題は少ないです.より実際の入試に近いと言われる公開模試を見れば明らかです.一言で言うならば「考え方を聞く試験」といったところでしょうか.これはその後の多くの試験にも直結することです.あまり教科書などでは見なれない設定も多く「状況を正しく読み解く」ことと「与えられた情報をもとに考えて,答えを出す」という,言うなれば「頭の良さ」が試されるのです.
     確かに各種の考え方を「公式」として暗記すれば,短い期間のテストは割と簡単に得点できます.ところがそういう一朝一夕で身に付けたものというのはすぐ抜けていってしまいます.どうしても長期的なスパンの中で「考え方」を身に付けなければならないため,なかなか目先のテストの成績は上がらず,色々と歯がゆい思いをする日々は続きました.こちらはしっかりと教えているつもりでも,実際の数字としての成績として結果が出てこないと,なかなか感じてもらえません.
     次に巨大な責任感がつきまとうことでしょうか.
     受験の補助教材として家庭教師の導入を決定された方にとって,家庭教師に求める責任感は大きいものです.それにはその生徒さんの人生がかかっているわけですから,いいかげんな気持ちでやってはいけませんし,やるべきではない.それが割と高額な報酬にも現れていますし,「誰かと替えがきく」職業であるわけでもないです.
     保護者の方も,生徒さんも,ものすごく尊敬した目で見てきます.アルバイトとはいえ呼称は「先生」ですし,1人のプロとして扱われ,プロとして振る舞うことを要求されます.その視線は割と重かったといえば重かったのですが.
     勉強を教えるにしても,(途方も無い罪悪感からそんなことは絶対にしませんでしたが)適当に教えてもバレることはありませんし,保護者の方は勉強内容にあんまり興味を示していないようでした.しかし教えるからには僕もなるべく全力で,自分がかつてやっていたのと同じように教えたかったため,試行錯誤しながら教え方を工夫しました.
     小学生を教えるというのは予想以上に難しかった.10年の年齢の違いというのは相当に大きいものでした.色んなことに結びつくことですが「何かを教える」ときには「その人が知っている別の何かになぞらえて教える」というのが便利です.『◯◯と一緒だよね?』といった教え方です.小学生が相手であってもそれで上手くいくかな,と思っていたのですがそんなことはありませんでした.
     やっぱり知っていることが少なすぎました.教えるための例がものすごく挙げにくい.
     小学生に学習として何かを学んでもらうためには,これでもかってくらい噛み砕いて教えなければなりません.かつて自分が納得してきたやり方は通じないことの方が多いです.あの例この例で教えても納得した顔をしてくれないときは本当に涙が出そうなくらい悲しくなりますね.とはいえ「自分が当たり前に納得していることを,それを全く知らない人に教える,理解してもらう」という生きていくうえでかなり重要な能力を身につけるいい機会にはなったような気がします.
     最後にコミュニケーション能力がかなり重要だということです.
     教えていた生徒さんは「わかる」「わからない」をあまり明確に示してくれる子ではありませんでした.そのため,教えるうえでの顔色の変化をなるべく注意して読み取る必要がありました.口で言っていることと本当のこととの間に齟齬があったことは何度もあります.「わかった」というので『じゃあやってみて』とやってもらうとできない.何度もありました.
     そこでため息をついたり,怒ったりしてしまっては誰にとって何の利益もありません.あの手この手で理解を促したり,ときには話題を降ったりとコミュニケーション能力は非常に重要でした.今回のパターンだと10コ近くも年が違うわけですから,ふだん大学生が使うような言葉では齟齬が生じてしまうことも多かったです.
     コミュニケーションが必要な場面は生徒さん向けだけではありませんでした.
     指導が終わるごとに保護者の方と話さねばなりませんし,僕の場合は夕食もご馳走になっていたため,かなりの時間を保護者の方とすごしました.基本的な興味は生徒さんの勉強のことであり,あまり現実をずばずば言うわけにもいきませんから,少し遠回しに言ったり,でも要点は伝えたりとなかなか難しかったです.もちろん世間話として今の自分の学習内容,大学生活についても話す必要があります.沈黙を嫌う質であるため色々と喋ってしまいましたが果たしてどう思われていたんでしょうか.
 
     こんな感じで10ヶ月くらい教えていましたが,僕の人生初めてのアルバイトは終了しました.
     おそらく主な原因は彼の成績があまり上がらなくなったということにありましょう.その他にも,僕がサークル活動や学習活動[要出典]に精を出しすぎたというのも理由の1つでしょうね.「来年は受験なので週2コマ入れないか」とか「直前期の年末・年始は帰省をとりやめて働いてくれないか」などの要望には申し訳ないのですが答えることはできません.
     ネガティブな面ばかり書いてきましたが,素晴らしい待遇をしてくれ,お金を得られ,「ものごとを教える」というチカラを身に付けさせてくれたこの経験はとてもいいものだった,と思うことにしました.
     やめることが決まった瞬間は目の前が真っ暗になったかのようでしたが.それなりの金額も得られたので,最近の僕の持論である「経験にお金を使う」を元に旅行にでもいってパーっと使うことにしようかなとちょろりと計画しています.今回の経験で,これから先いやでも知ることになるであろう「お金の価値」についてなんとなく知ることができたような気もしますし.お金の話はまたちょっとしたい話があるので,機会があればまた何か書こうかなと計画しています.
     今まで家庭教師をやってきた人も,今家庭教師をやっている人も,これから家庭教師をやろうと思っている人も.仕事を始める理由,続ける理由,やめる理由は様々あると思います.一般的には「高時給で楽」と思われている家庭教師ですが,意外とそうでもない部分もあるんだよということを知ってもらえたらいいなと思います.残念ながらその他のアルバイトを経験したことがないため,なんともいえないのかもしれませんが.
     今後のアルバイトはまだ選定中です.今までは教育系のものをやっていたので,そろそろ飲食系とかやって人生経験をつもうかな,とも思います.でもなんだかんだで家庭教師や塾講師に落ち着いてしまうかもしれません.ひょっとしたら今の専攻や将来すすみたい道であるWebデザイナーとかプログラマ系のアルバイトを選ぶかもしれません.話を聞く限り仕事は大変そうですが.
     もっとネットに公開できないようなちょっぴりダークな話や(これは本当に書けない),詳しい話を聞きたいという人はTwitterか何かで個人的にコンタクトをとってくださいね.たぶんいないと思いますけど.

     以下の文章はタイトルと全く関係がないので,読む必要はないです.
     そういえば最近,いますぐ書け、の文章法という本を読みました.ライターを職としてきた筆者がアマチュア向けに「文章の書き方」のようなものを提示してくれる本です.この本を読んで,自分の文章の書き方というのががらりと変わってしまったように思います.というか変わっていて欲しい.
     公開する以上は「読んでもらう」ためのものです.やっぱり「自己満足」じゃいけないのです.常に「読む人がどう思うか」を考えて書く必要があるのです.
     そんなことを意識しながらこの文章を書きました.ここまで読んでくれた方に感謝を示しつつ,それが少しくらいは実現されていたらいいなあと願うばかりです.それを意識し始めると,どうやっても今まで書いた記事がゴミの山にしか見えてこなくて困っています.今までは「読みにくい文章ほど高尚である」とかいうわけのわからない理論のようなものが自分の中にそびえ立っていたようです.たしかにそれは(厨二的な視点からすれば)いいものであるのかもしれません.でも「読みにくい文章」はやっぱり読まれることはなく,これもやはり自己満足になってしまうのです.
     「お前のことを知りたいのはお前の恋人くらいだ」とかいう言い回しがかなりぐさっときました.こういう感じの文章だとどうしても「自分語り」になりがちですがそういうのではいけないということですね.「僕の話」や「僕の経験」を聞きたい,読みたい人は多いけれど「僕」を聞きたい人はたぶんあんまりいないと思うのです.
     もっとも,ブログというのは自己承認のために書くものであり,サービスとしてではなくて,別に自分のことだけ考えて書けばいいんじゃないのという意見もありそうです.このへんも話したり書いたりしたらものすごく楽しくなるはずですが,文字数の都合上やめにします.前述の「読む人がどう思うか」理論を用いると,多分それは全く楽しくないです.僕だったら絶対に読みません.
     プロの物書きを目指す人は少ないですし,あんまり目指すつもりもありません.でも文章を書くという機会から逃れることはこれから難しいはずです.せっかく時間をかけて書くからには,なるべくいいものを書きたいですよね.その文章によって誰かの考え方や人生を変えられたら1番いいですが,楽しんでもらえば書き手としてはものすごく嬉しいのです.
     このブログを作ってから,たぶん2年くらい経ちました.書きたいときに書きたいだけばばばっと書いたゴミの山という感じですが,これからも少しずつ書き方を変えていって,面白いものができたら嬉しいなあ.
 
     そういえばその本に書いてあったこととして「頑張って自分を第三者の視点において,書いた文章を読み返す」ということを今回(たぶん)はじめてやってみることにしました.今まではとにかく書き終えたらお腹いっぱいですぐ公開していましたが,今回はそれをやめたということです.
     読み返すと些細な表現上のミスはさることながら,「これはないな」という書き方や言い回しもたくさんありました.
     最も多かったのが「無駄にまわりくどい表現」でした.読み返してから削られる表現の多いこと多いこと.今までそのまま公開していた自分を殴りにいきたくもなるくらいですが,これからの文章がなんとなくでも改善されることを期待してこのへんで終わりにしましょうか.ブログというのは文字数の制限がない以上,どうしても書きすぎてしまうものですし.