たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

インターネットが狭くなってしまった

     こういう話をすると懐古厨って言われるような気がするのですが,今回は僕がTwitterを始めたころの話をしようと思います。あの頃とはTwitterの使われ方,自分の周りにいる人,などなどがどんどん変わってきて,生きにくくも生きやすくもなってきました。僕がTwitterをはじめてから4.5年くらい経ちました。暮らしのほとんどをTwitterと一緒にいるので,そろそろ振り返ってみてもいい頃でしょう。
     僕がTwitterをはじめた2009年の12月で,まわりでTwitterをやっている人はほとんどいませんでした。その頃Twitterは「ミニブログ」とか「マイクロブログ」と呼ばれていて,ああやっぱりこれは新しい分野なんだなあ,と思った記憶があります。なんで始めたのかはあんまり覚えていませんけど,「マイクロブログ」と聞いたからだったと思います。その頃にも今思うと頭を抱えたくなるような(もう消してしまいましたけど)ブログを開設していて,もっと気軽に更新できればいいなあ,くらいに思っていたんだったかと思います。今だとそんな言い方をすることはほとんどなくて,もう「Twitter」という分野が確立してしまいましたよね。


     今のように,仲間を見つけるための機能はそれほど発達しているわけではありませんでした。なるべくなら自分と似通っている人を探したいんですけど,そのための手段がありません。自分が興味を持っている言葉で検索して,出てきた人をフォローしたり,「#followme」や「#followmeJP」なんていうハッシュタグが使われていたりと,広いインターネットという世界で仲間を探す,みたいにわくわくした覚えがあります。今調べてみると,公式RTの日本での実装が2010年1月22日ですから,僕が始めた頃に公式RTはなかったんですね。
     Twitterを始めてから,色んな人に出会いました。はじめの頃は,起業家や主婦,プログラマや弁護士の方など,普通に生きていたら出会わないだろうなあという人たちとたくさん出会えて楽しかったのを覚えています。僕が自分とは違う人生を送っている人に興味をもつように,彼らも僕に興味を持ってくれていたのでしょう(自意識過剰なのかもしれませんけど)。
     「自分の生活に興味を持ってくれている」とか「自分の存在を楽しんでくれている」顔も知らない人が画面の向こう側にいる,というのは,自己承認欲求をこじらせた高校生の僕にとっては,とてつもなく面白いものとなっていました。ちょうどその頃は高校で勉強や人間関係がうまく行かなかった頃で,無意識のうちに逃げ道だったり第二の世界だったりを探していたのでしょう。少なくとも,同年代ばかりの高校という閉じたコミュニティよりは広い世界です。
     しばらくすると,同年代の仲間もたくさん見つかるようになりました。基本的には志望校を同じくする仲間がほとんどで,なんか色々とアカデミック(もちろん高校生なりに,ですけど)な話をしていたんだったかと思います。もちろんアカデミックな話以外もたくさんしましたね。いわゆる「ツイ廃」と呼ばれる人がたくさんいて,自分もそのひとりでした。日本中に自分の知り合いがいて,タイムラインという情報を共有して,回線を通して繋がっている。そういうのも,まさにインターネットという感じでわくわくしていたような気がします。
     自らの日常を意味もなくtweetして,それに対して反応をもらって,みんなでわいわいする。そんな感じのものだったかと思います。しかもその人たちは日本全国にいる。各地での文化や考え方の違いに触れることも多かったです。大人数でSkype通話したこともありましたね。夏のオープンキャンパスでオフ会をしたことも印象に残っています。
     その頃はまだまだスマートフォンは発達していなくて,僕もほとんどのtweetを携帯電話(今で言うところのガラケーですか)から行っていました。もちろんインターネット以外で知り合った人以外とのやりとりは携帯電話のキャリアメールが中心です。コレは前にも書いたことですけど,メールは手紙中心であり,何らかの明確な用事がないと相手には送りづらいものです。基本的には1対1のコミュニケーションですしね。対してTwitterはそうではありません。形容するならば1対多数か,多数対1といったところでしょうか。特定の相手に向けているわけではないメッセージに,何人かが反応してくれる.そういうものであったのでした。


     でも今だとたぶん多くの人は,さっき僕が示したような使い方はしていないと思います。もちろん,僕が最初のアカウントでフォローしている人はそうではない人が多いんですが,日常生活の延長,みたいになっている人が多くなりました。簡単に個人を特定できるプロフィールを書いて,仲間内の延長,みたいなことをTwitterでやっている。まあ別にそれが悪いことってわけじゃないんですけど。
     アカウントを分けるのは甘え,みたいに思っている時期が僕にもありました。謎の意地でアカウントを長い間分けてこなかったのですが,ついに屈してしまって,サークル用アカウントを作ってしまいました。tweet内容があまりにも狭いコミュニティの中で閉じていることばかりで,色んな人がフォローしてくれているいわゆる「本垢」のTLでは不適切なのかな,と思ったからです。
     24時間同じ人たちとつながっていることは果たして幸せなんでしょうか?とも最近は思います。実際に会わないのに,インターネットを通して24時間つながってしまっていて,そこでも馴れ合いをし続けている。コレは前にも書いたことですけど,メール以前のコミュニケーション手段が「明確にその相手がいる」ことに対して,Twitterはそうではないですからね。構ってほしかったら,誰かが構ってくれます。
     ほとんどが顔見知りの中で構成されるコミュニティであって,新しい人が追加されるとしてもそれは,実際に会った人であることが多いです。ちょっとその気になれば会いにいける人たちばっかりで,それ以上広がることはあまりない。
     でもやっぱり24時間つながらざるをえない,そういうシチュエーションにはなってしまっているんじゃないかなとは思います。だれかの適当な一言で,そのTLにいる人達が一斉に反応して,連鎖的にその話題が続いていくという「流れ」にはやっぱり参加したい,と思ってしまうものです。それに,なにかどこかへ行く企画が立ち上がっていたのに,Twitterをやらないことによって乗り遅れてしまった,というのを恐れる人は結構いそうです。


そんな感じでインターネットは狭くなってしまった,と書きつつも,Twitterが狭くなってしまった話をしてしまいました。やっぱり,そろそろ色んな人がTwitterをやりすぎて,わざわざ仲間を探しに行かなくても,狭い世界の中で楽しめるようになってしまった,っていうのはありそうですね。
それが幸せなのかどうなのか,あんまりわかりませんけど。