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たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

頭がぐるぐるするから

  気づけば夏休みが終わってから3週間も経っていました。毎日ブログを更新するぞ,と意気込んでいたのにその意欲はどこかへ消えてしまって,結局今までのように適当なタイミングでブログを更新するだけ,となってしまいました。最終更新は8月9日なので,ざっと2ヶ月以上も更新していないことになります。
  頭の中にもやもやしているものがあるとき,「書く」という作業はそれをぱあっと晴らしてくれる手段の1つであると思います。そんなわけで今,僕の頭のなかに溜まっているもやもやを少し晴らしてみようかな,と思います。
  卑怯ながらも各トピックの最も重要な部分は隠してあります。ちょっとこうやってインターネット上に載っけるべきものではないからです。わかる界隈のわかる人がいればわかると思いますが,まあつまりそういうことなのです。


  こころが悲しくなってしまう季節,と書いたように,最近はちょっとこころが悲しいです。色んな人に触れる中で,自分の価値観も少しずつ変わっていったようにも思えます。生き方はそれほどがらっとは変わらないけれど,少しずつ周りに合わせて変えていく,そんな感じがいちばんいいのかな,なんてことも思います。
  やっぱり僕はもっと他人のために生きるべきでした。別に今まで自分のためにばかり生きていたわけではないのですが,やっぱりそう思ってしまいます。
  そうは言っても,自分では他人のために生きているつもりが相手にとってはただの迷惑でしかなく,単なる自己満足にすぎなかった,ということもあり得ます。そういう危険性は常に考えておかないといけないな,と思うのです。
  他人のためにみんなが生きる世界が幸せだとも思えません。でも,相手がどう思っているか,を常に考えて生きることがそれほど悪いこととも思わないのです。
  ある考え方を手に入れたときに,世界の見え方がすっかり変わってしまうということはきっと何回もあると思います。それが自分の近くの人のものだとその驚きは相当なもので,自分の見えていた世界がすべての人にとって同じではない,ということに気づくことがあります。
  自分の視野や考え方はものすごく狭いものだったんだ,と気づいたときにはもう遅くて,色んなことが手遅れであることが多いです。でもそれに気づいて,次の世界をより広い視野で受け入れていかなければいけないんですね。

  他人のことを考えるのは大事だ,と書きました。でもこの文章はぜんぜん他人のことを考えて書いたものではありません。頭の中のもやもやをそのまま吐き出したといった感じです。
  言ってみれば「心に移りゆくよしなし事を*、 そこはかとなく書きつく」ったということになりましょう。
  こういうことこそTwittertweetすればいいのに,という人もいるだろうと思うのですが,それぞれの文章にはやっぱり微妙に関連がありますし,できればこれらの文章はまとまった状態で読んで欲しいと思います。
  これが僕なりに最低限「他人について考えた」結果である,という風に結論づけることはたぶん少しばかり強引でしょう。

  「ブログは公開するものである以上,読み手のことをいちばんに考えるべきである」というのはTwitterでも,このブログでも僕が何回も述べてきたことです。それは半分くらい守れてきましたが,きっと半分くらい守れてないでしょうね。
  でもやっぱりこのブログのタイトルである「たいむかぷせる」という性質上こうして,わけもわからず悩んでいた軌跡を残しておくことはきっと重要であるのでしょう。
  ひょっとしたらどこかにいるかもしれない誰かに役立つかもしれないことを願いながら,そんなことないだろうな,とも思いながら。