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たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

専攻を語ってください

 誰かが誰かの専攻を語るのを聞くのが好きだ。
 ぼくの周りの大学生は,そろそろ専攻が決まってくる頃なので,よく「そういえばなにをやっていたんだっけ?」という質問をする。そういうとき大抵は目をキラキラと輝かせながら「えっとね…」と話してくれる。そうやって話す相手はものすごく楽しそうだし,そうやって話す相手を見ているのも楽しい。
 ぼくがまだ高校生だった頃,現代文のE先生がよく「大学は学問をするところだ」と言っていた。考えてみれば大学というのは「高等教育機関」であるから,今までの高校生活でやっていた「勉強」とは違った「学問」がそこにはあるんじゃないか。そんな風にも思っていた。
 そしてぼくらは,専攻を決定していく。もちろん大学によってそれはバラバラで,1年次にある程度細かく決める人もいれば,2年次とか3年次にする人もいる。とにかく,学年が上がるにつれて,専攻というのはより細かくなっていく。
 
 でも,なんでぼくは専攻を語られると楽しいのだろう? と少し考えてみた。その質問には意外とすぐ答えが出た。たぶんぼくは「その人の世界の見方がある」と実感するのが好きなんだと思う。たぶん。
 その人が1番好きな見方で,世界を見ていく。そうやって専攻について語られると,なんだか世界が少し違っているように見える。そういうのがきっとものすごく,おもしろいのだろう。
 生きていく中で,ぼくらは色んな常識や経験を身につけていく。そこで色んなものに興味を持ったり,つまらなく思ったりしながら,専攻を決めていく。専攻を決めるという行為には,今までの人生が凝縮されているような気がして,なんだか特別なことのように思える。
 
 しかもそれは,じぶんが選ばなかった道なんだ,ということも意識するとすごくおもしろい。専攻を決めるときにぼくらは,上で書いたように「それが1番おもしろい」と思って決める。だからときどき,その「じぶんが見ている世界」がすべてであったり,もっとも優れている(?)と感じたりする。
 でもだれかに専攻について語られると,そうじゃないんだ,ということに気づける。じぶんが見てきたり,興味を持ってきたりした世界がすべてではないのだということ。世界にはもっと色んな見方があって,世界はもっと広いのだということ。こういうことを意識できる。
 そういうことも同時に,ものすごく好きなのだろう。
 
 というわけで,ぼくは「専攻を語られる」のが好きだ。だれか語ってくれませんか。