たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

数値化できないこと

 大体3年間くらい所属していたサークルをついこの前,やっと引退しました。
 右も左もわからなかった1年生の頃を思い返すと,時間は長いようで短くて,なんだかあっという間に終わってしまったなあ,なんて風にも感じます。そんな中できっとぼくは「けっきょくサークルでなにを学んだのか」ということを,ずっとずっと,考えてきました。「これだ!」という答えは今も出ていないままなのですが,なんとなく思いがまとまったので,書いておくことにします。
 そんなの「楽しかった」だけでいいよね,というのも思わなくはないのですが,やっぱり人間はじぶんの行動に意味を見出したくなってしまうのです。
 
 ぼくが所属していたサークルは,ESSというサークルでした。
 これだけ聞いてピンとくる人はきっと少ないはずなので,少し解説しておきましょう。ESSとはEnglish Speaking Societyの略で,要は英語を楽しくしゃべろうね,というサークルです。
 ひとくちに「英語を楽しくしゃべる」といっても,活動内容はさまざまでした。観光に来た外国人の方を案内する「ガイド」,みんなの前に立って話す「スピーチ」,そしてぼくが最も多くの時間を捧げた「ディスカッション」。ディスカッションとは,あるひとつのテーマについて英語で話し,それぞれの価値観を共有したり,議論を深めたりして,新しいなにかを発見していく,といったものです。たぶん,なにをするのか実際にはよくわからないと思うのですが,大体そんなものだと思っておいてください。ぼくが具体的にESSでなにをしていたのか,というのは今回の話において,そんなに大きな意味を持ちません。
 
 さて,そんな中でこのサークルについて語るとき,やっぱり「数値化できない」っていうことが大きな意味を持つんです。
 ぼくらの活動のほぼすべては数値化されることがありませんでした。「英語で楽しくしゃべる」ことが第一の目的であるからです。そこには能力を示すランクもルールもありません。英語がうまい人もいれば,下手な人もいる。でもみんな英語を楽しんでいる。そんな空間だったのです。
 個人の能力が数値化されないのと同時に,団体としての能力や成果も,なにもかも数値化されることはありませんでした。先に挙げた「ガイド」や「スピーチ」,そして「ディスカッション」といった活動は,なかなかひとつの大学で実現するのがむずかしいものです。だからこそ,どこかの大学が「主催」となってイベントという形で開催し,それらの活動を楽しむ場を提供します。
 何度も言うように,そこにはランクもルールもありません。ぼくが行っていたESSの活動は「競技」ではないからです。イベント自体もそうです。ある大学がイベントを主催したとして,それが「成功」なのか「失敗」なのかを判断する基準が存在しないのです。当日特にトラブルが起きなければいいよね,くらいのものでしょう。
 
 ぼくはそんな環境がはじめ,あんまり好きになれませんでした。
 なぜなら「数値化できない」ということは,ある種の甘えを持つからです。
 なにか改善点があったとして,それを改善したとしても,それがよかったのか悪かったのか,指標がまったくありません。向上心があったとしても,それを「確かめる」ことができないのです。それがぼくらの活動が,いわゆる競技やスポーツとは大きく異なる点でした。「楽しければそれでいい」という感じです。
 もちろん「英語を楽しむ」だけではダメで,同時に「英語をうまくなりたい」と思っている人がいます。それでそのために色んなことに取り組むのですが,それがうまくいっているのか,そうでないのかがわからない。そんな環境でした。そんなのやったって意味ないじゃん,くらいに思っていたこともあります。
 
 でも実はこういう環境って意外と多いんじゃないのかなって思います。
 特に大学生がやる「サークル」とか「ボランティア」は,大体そんな感じです。
 競合他社と差別化をはかり,きちんとマネタイゼーションをして,収益に結びつけていく,ということをする必要はありません。もともとが余暇を使って行う活動なので,暇を持て余している大学生から会費を適当に集めていれば活動は続いていくからです。別に数値化をする必要はないし,ゆるゆる活動を続けていけばいいからです。逆に,そこまでの必死さやある種の殺伐とした感じというものを,その活動に参加する人は求めていません。
 だってそんなの,なんだか会社みたいですよね。
 みんながじぶんや組織の能力を最大化するために躍起になっていて,そこは「数値化」に支配されている。じぶんの能力を示す「数値」は,営業成績だったり役職だったり,給料だったりするところで現れてきます。そしてそのスコアは,なるべく高いほうがいい。
 数字というのは,ものすごくわかりやすいものなのです。数字を使うと,色んなことが見えるようになったり,分析できるようになったりします。いわゆる「ビッグデータ」と呼ばれるもので,とにかくたくさんデータを数値として集めてきて分析すれば,なにがなにと相関関係にあって影響しあっているのか調べることができます。
 だからやっぱり「数値化すること」はとてもいいことであるように思えます。
 
 でも,ESSに属し続ける中で,それだけじゃいけないんじゃないかな,っていう気も同時にしてきたのです。もちろん「数値化」はものすごく便利だけれど,数字だけじゃうまくいかないのです。ばっちりデータで示されていても「なんかこれだとうまくいきそうな気がする」とか「なんかこれだとうまくいかなさそうな気がする」とか,そういうふわふわした「感じ」はどこまでも残ってしまうからです。
 しかももちろん,すべてのことが数値化できるわけではありません。「楽しさ」とか「心地よさ」とか「じぶん自身の成長」なんてものはなかなか客観的には測定できないので,なんとか実感していくしかありません。そういう「感じ」も無視するべきではないのです。
 仮に数値が出ていなくても,なんか楽しい「感じ」がするのならば,それは進めるべきなのかもしれません。逆に数値が出ていても,なんか嫌な「感じ」がするのならば,それはやめるべきなのかもしれません。
 ときどきやろうと思っても,ESSを続ける意味は数値化し分析することはできませんでした。きっとそういう点でもぼくは「感じ」に支配されていたし,合理的でありつづけることになんらかの抵抗をしていたのだともいえます。
 
 こういうことは,最近いろんなところで言われている「人工知能」とか「IT化」とかいうところにも結びついているのかもしれませんね。なるべく人間よりもAIとか機械にまかせた方が,数値としての作業効率や生産性は大幅に向上するでしょう。でもそこで,先に述べた「感じ」が邪魔をするのかもしれません。客観的にはわかっていても「感じ」が邪魔をする,というのが,ぼくらが人間らしくあるという,最後の砦の1つなのかもしれません。
 
 けっきょくぼくがESSというサークルに属する中で学んだ中で最も重要なことの1つは「数値化できないこと」すなわち「『感じ』も大切にすること」だったといえます。もちろん数値化も大事なのですけれど,それだけじゃだめだということです。「なんかよくわからないけど,これは大事だと思う」ということを大事にしていかなければいけません,ね。
 人間はそれほど合理的にはできていないし,なかなか数値化して分析するというのもむずかしいものです。もちろん社会に出たり,自身の言動になんらかの説得力を与えたいときには「数値化」は重宝するのですけれど。ゆるふわな大学生のうちは,そういう「感じ」に浸かっておいてもいいのかもしれません。
 こんなことはきっとその辺の心理学や哲学っぽい本にはさらっと書いてあるのでしょう。でもこういうことにじぶんで気づいて,文章として残しておくということは「なんかよくわからないけど大事」だと思うのです。だから今日,こんな文章を書いてみたのでした。
 

 
 最近しばらく「書く」ということから遠ざかっていました。あれほどまで好きだった「書く」ということから,こんなに簡単に離れられるのか,とじぶん自身にやや呆れることもあったのですが,けっきょく今こうして文章を書いています。
 上にも書いたように「引退」ということで,ぼくも「先輩」になってしまいました。じぶんが悩んでいたようなことを相談してきてくれる後輩のことは本当にかわいいし,なんとかしてあげたいな,とも思うのですが,けっきょくこういうことはじぶんで見つけていくしかないのかもしれません。
 やっぱりぼくは書くことが好きだし,書かないと生きていけないみたいです。
 LINEやFacebookでも「文字を打ち込む」という意味での「書く」ということはできるのですけれど,それはこういうブログとはなんだか異なるように感じます。というのもLINEでは相手が確実に存在するし,Facebookの場合でも「いいね!」ボタンかなにかで,こういうブログよりは読み手に近いように感じます。
 前にもこんなことを書いた気がしますが,やっぱりこうやって「だれが見ているかわからない」という状態で文章を「公開」することでしか,ぼくは生きていけないのかもしれません。これはかつて「あみめでぃあ」に書いたことにもつながることです。また上に書いたことは,以前にも書いたわかりやすい,はえらくない?にもつながるのかもしれません。
 なんだかんだ述べていることは9ヶ月前とあんまり変わらないような気もしてきましたが,それだけぼくにとっては「大事な感じ」がするということなのでしょう。
 アルバイトのこと,これからのこと,コンピュータのこと,文章のこと,ブログのことなどなど,まだまだ書き足りないことはたくさんあります。なんとかこれからも文章を書いていければいいのになあ,とは思うんですけどね。