たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

技術書典7に本を出した

技術書典7 に会社の人と共同で クックパッド執筆部 として本を出した。技術書典自体には昔から興味はあって,いつかじぶんも参加側で出たいなあと思っていたので,まさに渡りに船ということで参加することに決めた。

このブログを隅々まで読んでいる人にはわかると思うのだけれど (そんな人はいるのか) 私が同人誌を書くのは実ははじめてではない。昔 あみめでぃあ という同人誌で「概念を語る」というのをやったことがある。二回目の同人誌執筆は,あの頃と似ているようで似ていない部分も多かった。今回はそんな話をしてみようかなと思う。

私はどんな記事を書いたのかというと,いつものように機械学習の話を書いた。内容としては 無理をしない機械学習プロジェクト2 のスライドに加筆修正しながら,プレゼンでは話し切れなかった内容も含めて文章化したものとなっている。よくある機械学習理論やアルゴリズムといったむずかしい内容ではなく,実際に機械学習をサービスに活かすということを見据えた,きちんと血の通った内容を書けたと思っている。

技術書典に本を出すというプロジェクトは,社にいる @shanonim さんが声をかけてくれて始まった。彼は執筆側としても参加側としても,何度も技術書典に参加した経験があって,レポジトリの作成や編集など,とんとん拍子に進んでいった。私は比較的早めに原稿を書き終えてしまっていたので,あみめでぃあのときに受けた厳しい校正の経験を元に,がんがん他の人の文章を校正していった。表記ゆれや誤字脱字はもちろん,漢字よりもひらがなの方がいい書き方など,同人誌を書いておいてよかったな,と実感した。

同人誌の執筆において当初設定した〆切なんてものは伸びていくのが当たり前であって,実際に私たちの本も最初の〆切からは少し伸びた。でも〆切直前にどんどん完成していく原稿や,とってもかわいい表紙イラスト,本と一緒に頒布する電子版のダウンロードカード,ポスターなどなど,ドキドキワクワクしながら本の完成を待望んでいた。そしてそれはたまらなく楽しかったし,ああ私は今本を作っているんだよな,と心から感じることができた。

クックパッドは,その多くがエンジニアで構成される技術書典コミュニティでも抜群の知名度を誇っているらしかった。わかる人にはわかる表現を使うとすると,二次創作覇権ジャンルのようなもの。執筆側だけが見られる被チェック数*1は当日が近づくにつれてどんどん増えていった。増えていく被チェック数に後押しされるように300部刷ることを決め,あとは当日に売るだけとなった。

当日にブースの下に置かれているじぶん達の本が入っている段ボールを開け,中に入っている刷り上がった本を取り出し,ああほんとに私たちは本を書いたんだ,というのを実感する瞬間というのは,同人誌執筆における至上の喜びのひとつであることは言うまでもない。そんなわけで無事に原稿を落とすことはなく当日を迎えた。

当日は午前中のゴールデンタイム*2にがんがん売れた。本当にびっくりするほど売れた。あみめでぃあのときはたしか70部くらい刷って丸一日売って30部くらいしか売れなかったけれど,これが技術書典なのか,とも思った。じっくり立ち読みをしたあとに買ってくれる人,買ってくれない人,見ただけで買ってくれる人,差し入れを持ってきてくれた元インターン生,私の本を買いに来てくれたお友だちなどなど,お祭りみたいで本当に楽しかった。印刷屋さんが余分に刷ってくれたおまけを除くと300部をすべて売り切ることができたし,当日はほとんど立ちっぱなしだったはずだけれど,そんな疲れなんて吹き飛んでしまうくらい,打ち上げで飲んだ1杯目のビールは本当に美味しかった。

私の執筆側としての技術書典は,これ以上ないくらいの成功に終わった。そう見えたのだけれど,技術書典が終わったというのに,なんらかの違和感が消えなかった。なので今私はこの文章を書いている。その違和感というのは「私は本当に人々の心に響く文章を書けたのだろうか」という疑問のことだった。つまり「私の文章には『エモさ』が足りていたのだろうか」ということになる。技術書典なんてじぶんの好きな技術を好き勝手に解説するだけでしょ,なんならそれくらいに思っていた。それがとんでもない間違いだったということは,今になって気づいた。

じぶんのした仕事をわかりやすくまとめる,という作業はとても楽だったし,楽しかったといえる。どうやったらわかりやすく書けるかなとか,図をどう配置しようかとか,そういう「見えない読者」を想定して文章を書くという作業には,きちんと楽しさが伴っている。でもきっと,そこにエモさはないのだろうな,と今では思う。筆者が考えてもわからないことはわからないまま書いて,読者に自由に解釈してもらう。変にわかりやすくわかりやすく書こうとせず,きちんと回りくどいものは回りくどいまま書く,そういう「エモい文章」にたくさん触れてきたし,あみめでぃあを書いていた頃のじぶんは,きっとそんな文章を書けていたんじゃないのかな,と思う。本当のところはどうかわからないけど。

少なくとも共同執筆した @takai さんのキーボードポエムや @asonas さんのサービスクローズ・エンジニアリングはちゃんと「エモい文章」だったな,と思う。技術書典ではないけれど @mirakui さんの ISUCONの記事 も本当にエモの塊だった。わかりやすすぎないし,読んでもなにかわかったかどうかはわからないけれど,なにか心に残る。そんな文章だったなと思う。やっぱり日本語が正確でわかりやすいだけの文章も大事だけれど,きちんとエモさが残る文章も書いていきたいなと思った。

そんなわけで,私の技術書典はようやくスタートした。技術は技術だけれど,私たちはサービスを作っていて,その先にはユーザーがいて,その技術にはきちんとエモがある。人間がいると勝手にエモは生まれるし,そのエモをなんとかして形にしたいと思った。次回の技術書典で本を出すことはもう決まっていて,なんとレポジトリまでできている。次回はもっとわかりやすくて,でもちょっとわかりにくくて,それでもってものすごくエモくて,そんな文章を書きたいな,と思っている。

ちなみに 電子書籍版はここから買えます 。色々と書いてしまったけれど,本当にいい本です。おわり。

*1:技術書典サイトにログインした状態でチェックをすると増える数字。気になるリストのようなもの。

*2:有料の入場券を買った人々のみが入れる時間帯。よく売れるとされている。