たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

修士生活って結局なんだったのかな

はじめに

年が明けて,去年の今ごろは修論に追われていたことを思い出す。ようやく気持ちに整理がついたので,なんとなくわたしの修士生活を振り返ってみようかな,と思ってこの文章を書いている。元から「就職するか」「修士課程に進学するか」は迷っていた身だったけれど,今となってはやっぱり行ってよかったのかな,と思うようにしている。というかそう思わないとやっていけない。

研究室

わたしが所属していた研究室は,じぶんで言うのも変だけれど,とても優秀なメンバーが多かった。学部生を受け入れておらず,修士からの研究室だということもあるけれど,研究室のメンバーの半分くらいが博士課程に所属していた。なんというか,みんなちゃんと研究していた。
周りに優秀な人が多い,という環境は,実はものすごく心地がいい。研究でわからないことはメンバーに聞けばだいたいすぐわかるし,新しい情報も彼らがどんどんキャッチアップしてくれるからだ。けれどその心地よさと同時に「じぶんはそのレベルに達しているのか?」という引け目も,感じていくことになる。

大学教員

これは一般的に知られていることだけれど,基本的に大学教員というのは忙しい。特に私の指導教員は,彼自身もバリバリ研究しているというのもあって,そこまで親身に面倒を見てくれるということはあまりなかった。もちろんこれは周りの修士学生に聞いてみると,特に彼に限った話というわけではなく,それなりに人数が多い研究室はそういうもの,ということだった。
大学の研究室では,能動的に動かなければ基本的に放置されていく。毎週1回の進捗確認では,特になにもない進捗を発表する。そんな日々が,結構長く続いた。そしてそんな日々から逃げるように,インターンシップに没頭していた。

まとまった時間

かなりネガティブな書き出しになってしまったけれど,修士生活が悪いことばかりだったかというと,もちろんそういうわけではない。なにかをするには,たっぷりと時間があった。授業もほとんど取らなくてよく,社会人になった今から考えると1日丸ごと使えるというのが週に何回もあるのは,とてつもなくうれしいことだった。
ディープラーニング機械学習や統計を基礎から勉強した経験は,その後に最新の論文を読むのにかなり役立った。それ以外にもたくさん本を読めたし,色んなところにも行けた。その期間にはもちろんじっくり悩んだし,じっくり考えることもできた。そういう意味で「まとまった時間」を手に入れるのにはぴったりの期間だったといえる。あんまり研究は進まなかったけれど。

インターンシップ

修士のときに行ったインターンシップは,どれも本当に楽しかった。学部のときに落ちたインターンシップのほとんどには修士のときには通ったし,ソフトウェアエンジニアだけではなくデータサイエンティスト的な働き方も気になっていた私にとって,その両方を体験できるとても貴重な期間だった。とはいえ修士課程におけるインターンシップは研究との両立がとてもむずかしいということも,そのときなんとなくわかった。
インターンシップはだいたいきちんとやることが決まっているし,場合によっては少なくない額のお金ももらえる。しかも研究と違って,成果を出すのはそんなにむずかしくはない。そんなわけで,研究の息抜きとしてインターンシップに没頭してしまうのは仕方ないことであるし,実際に私もそうだった。短期インターンシップは研究への負担が少ない代わりに,業務のことがよくわからないし,長期インターンシップはその逆が成り立つ。このあたりのバランスがとてもむずかしい。
とはいえ学生の頃にインターンシップをたくさんやっていた人が,その後の業務でそうでなかった人に比べて圧倒的に成果を出せるかといわれると,どうやらそうではなさそうにみえる。それよりも修士課程でじっくりと学業に取り組んだ人の方が成果を出せそうにもみえる。数学とか統計とかコーディングとか機械学習とかプレゼンとか,そういうものは社会人になってしまうと意外ときちんと身につけるのがむずかしい。それらをしっかりとできるようになっている人は,社会人になってもどんどん活躍しているような気はする。

成果

けれど,修士課程の研究で成果を出すということは,一般にはとてもむずかしい。わたしの研究室の同期メンバーの多くが博士課程に進学したけれど,いわゆる「トップカンファレンス」に修士のうちの研究で採択された人は一握りだった。ほとんど成果が出なくて,でも研究はしないといけなくて,修論を書かないといけなくて,でも就活もしないといけなくて,といったような,終わりのないトンネルの中にいるんじゃないか,みたいなつらい時期もあった。
しっかりとした研究を行うには,おそらく修士課程の2年間では足りない。修士課程が3年あったら,と思うことは何度もあった。
さいきんTwitterで学生を励ましているのも,けっきょくこのあたりの体験から来ているのかもしれない。修士生活はうっかりすると家と研究室の往復になってしまって,視野が狭くなってずーんとつらくなってしまう。そんなわけで,あんまり研究室に没頭しすぎずに,色んなことをして視野を広く持っておくというのも,健全な修士生活のためには重要なのかもしれない。

さいごに

そんなわけで,結局わたしの修士生活とはなんだったのだろう。いちおう研究をして,インターンシップをして,修論を出して,卒業したけれど,なにが残ったのかといわれると,あまりよくわからない。修士課程に行かずにそのまま就職していた人生のことなんてわからないけど,修士号を持っている今も,そんなに悪くない気はする。
あんなにつらくて苦しくて悩んで書いた修論を出して得られた修士号も,けっきょく社会に出てしまえばそんなもんだった。けれど修士課程に出会った人や物ごとはきっと私の人生に多くの影響を与えていて,今後は「修士課程に進んでいてよかった」と思う日が来るんだろうか。これがスティーブ・ジョブズの言うところの "connecting dots" であって,人間はじぶんの人生になんらかの意味を見出したいだけ,と言われてしまえばそれだけなのだけれど,少なくともわたしはそうであってほしいと思っている。

これから

そういえば機会があって,今後はまた「文章を書く」ということに本格的に取り組むことになりそうだ。TwitterやSlackに好き勝手あれこれ書くのとはまた違った「だれかが読む」ための文章を書く,かなり久しぶりの経験になる。そんなわけで一種の「リハビリ」を兼ねてこのブログを書いている。
そんな中でじぶんの過去の文章を (あんまり楽しく読み返せるものでもないけど) 読み返してみると,意外といい文章を書いていて驚いた。まだまだあの頃は文章を書くのに慣れていなくて,かなり悩みながらこれでいいのかというものを書いた覚えがあるけれど,振り返ってみるとそんなに悪くない出来だった。私の書いた修論も,いつかは「そんなに悪くないじゃないか」と思って読み返せるんだろうか。