たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

ぼくと「しんがり」のこと

     だいたい半年くらい前から「みんなでしんがり思索隊」という共同ブログで文章を書かせてもらっています。ちょこちょことこのブログにもリンク付きで紹介していたので,わかる人はわかるかもしれませんね。とあるtweetによって,しんがり思索隊(以下しんがり思索隊と略します)について書くことになったので,ここにこうして書くことにします。
     「しんがり」ではどういうことをしているのか,どういうことを目指して作られたものなのか,ということを知りたい人はこのご案内の記事を読んでいただければ大体わかると思います。まあでも少し書いておきましょう。
     ここではたくさんの人が「きあずま」と呼ばれるお題に合わせて文章を書いています。「きあずま」を投げかけることもあります。そうしてみんなで文章をより集めてひとつの「ブログ」をつくっていくのです。
 
     「しんがり」が開設されたのは,今年の6月のことです。
     どういうやりとりがあったのか,詳しくは忘れてしまったのですが,ちくわさんという運営者の1人に声をかけてもらったのが始まりだったと記憶しています。彼とはぼくのTwitter黎明期からずっと仲良くしてもらっていて,お互いにブログで文章を綴っていることは知っていました。
     ひとりよがりに文章を書くのもいいけれど,みんなで文章を書いていくのもおもしろいかもしれないなあ… といった,割と感覚的ななにかに引き寄せられて,ぼくは「しんがり」に参加しました。
 

 
     はじめて「しんがり」を見たときから,そして今少しずつ拡大していった「しんがり」を見てぼくが抱く印象はあまり変わっていません。それは
 
じぶんと似た人がたくさんいる
 
というものでした。お前なんかと一緒にするな!というしんがりライターのみなさんがいたらごめんなさい。
     ぼくはじぶんが思ったこと,感じたこと,考えたことを文章に綴ってきました。そしてそれを「ブログ」という形で公開していきます。でも,そういうことをやっている人は周りにあまりいませんでした。
     ひとりよがりにじぶんが悩んで考えて感じたことを文章で書いて公開する。果たしてそれは正しいことなのかな?と思っていた矢先のことだったのです。
 
     それで出会った「しんがり」はぼくにとって救いのようなものでした。「こういう生き方をしていてもいいんだよ」と実感させてくれたような気がします。生きるのに悩んで,苦しんで,でもそれを文章にして,それで生きていく。そういう生き方はあってもいいんだよ,と言ってもらえたような気がします。
 

 
     「しんがり」について思っていることをもう1つ。ぼくは「しんがり」は
 
現状のインターネット文化に対するレジスタンス
 
の1つであるかのように思っています。
     最近のインターネットの風潮は「誰にでも理解できる」ものであり「短時間でわかってもらえる」ものが多いように,ぼくには見えます。さいきん話題のいわゆる「YouTuber」と呼ばれる人たちの動画や,有名なブロガーさんたちのブログはそんな感じです。
     一時期このブログの方向性を見失っていたときに読んだ「ブログ論」のようなものにも「まず見る人のことを考えろ」とか「おもしろいと思ったもので毎日更新しろ」とか書いてありました。
     でもぼくはそういう形のインターネットは「見る人にへつらいすぎている」と思うのです。インパクトやおもしろさを狙うあまり,悪く言ってしまえば「低俗なもの」が増えているように思えるのです。それは僕がブログやインターネットでやりたいこととは,少し違ってしまっている。
     Twitterという最大140字しか入力できないツールで日常的にコミュニケーションをすることに慣れてしまった人たちに「長い文章」はなかなか読んでもらえません。結果的に改行が多かったり,全体としての量が少なめな文章になります。
 
     でも「しんがり」は違います。たくさんの人がひとまとまりの長い文章を使って,なにかを表現しています。ぼくらのブログは,通勤や通学の間といった「スキマ時間」にひょいひょいっと「見て」もらうものではなく,しっかりと画面と向き合って,しっかりと「読んで」もらうものであると思っているのです。この広いインターネットの世界に,こういう場所が1つくらいはあっていいはずです。
 

 
     同時に「しんがり」は僕にとって,
 
人と人を「つなげて」くれるもの
 
でもあります。
     このブログがそうではないという意味では決してないのですが,しんがりでは自分と似たような人に「読んでもらえる」可能性がすごく高いのです。しかも,同じような内容に関して「書いてもらう」こともできるのです。
     誰が読んでいるかわからないこういう個人ブログでは,どうしても書き手であるぼくと,読み手であるみなさんの距離が遠く思えてしまいます。コメントをくれる人もあまりいませんしね。コメントくださいと言っているわけでもないんですけど。
 
     インターネットは双方向性をもったコミュニケーション手段です。できれば一方通行ではなくて,双方向のコミュニケーションがしたいものです。そういう意味でも「しんがり」はぼくにとってものすごく居心地のいい場所の1つであるのです。そうやって確実に人と人を「つなげて」くれるのです。
 
     また「しんがり」は,ある「きあずま」について,ある人が心を尽くして綴ったものです。心を尽くして綴ったものはもちろん,その人の心の深い部分を少なからずあらわしています。
     その人とは会ったことも話したことも,顔を見たこともないのに,その人の心の深い部分を知っている。そういう関係性はなんだか不思議で,なんともいえずぞくぞくします。かなり前にインターネットがせまくなってしまったと書きましたが,ぜんぜんそんなことはないのかもしれませんね。
     インターネットを使った「しんがり」は通常のコミュニケーションと違った方法で,まだまだ僕たちを「つなげて」くれているみたいです。
 
     もちろん,
 
ものごとを「違う視点から」とらえる
 
こともできますよね。
     色んな人の色んな文章で,色んな考え方を知るのはとても楽しいことです。「こういう生き方をしてきた人がいるんだなあ」とか「こういう考え方もあるんだなあ」と知ることは,なぜだかハッキリとはわからなくても,すごく楽しいことなのです。
 

 
     そんなこんなで「しんがり」について書いていったら予想外に分量が増えてしまいました。実際にはお題1つと記事2つという,なんとも情けない参加率なのであまりえらそうなことは言えないのですが。僕が「しんがり」で書いた記事はここから見ることができます。
     最近またしんがりライターの方が増えてきて,どんどんにぎやかになってきました。この素晴らしい場所を続けていくために,僕もたくさん考えて,たくさん書いてみようと思っています。
     「しんがり」に書かれているような内容で実際の書籍をつくり,文フリで販売するという「あみめでぃあ」企画もスタートし,無事に初刊を発行できたようですし。次号から僕も執筆する(予定な)ので良ければお手にとってみてください。
     「自分には書けない」と思っていても,書き始めると案外すいすい書けるものです。やっぱり僕にとって「書く」ことは「考える」ことであり,生きるために必要なことなのです。
     もし「自分もしんがりで書いてみたいぞ」と言う人がいたら僕かちくわさんか誰かにひとこと声をかけてみてください。
 
     書いてみよう,それは案外,いいことだ。