たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

アラームをかけずに寝て起きたら,午前中が消滅していた

     これが今朝おきた惨劇です.今朝,というのが「朝」を指すのならば,一生に一度しか訪れない2014年3月5日の午前中は,ぐうぐう寝ることによって消滅してしまったということになります.遺憾ですね,非常に遺憾です.

     残念ながら消滅してしまった午前中に思いを巡らせたところで,失われた午前中は戻ってきません.そんなことをする暇があるなら部屋の片付けをするとか,借りた本をさくさく読んでいくとか,なるべく有意義な時間の使い方をしたいと思っていました.でもそういうわけにはいきませんね.寝る,という怠けモードでスタートした1日が,そう簡単に有意義モードに移行することはありません.適当にTwitterしてネットサーフィンしたら,いい時間になってしまいました.あああ.
     寝る,という人間の活動の中でおそらく最も生産的でない活動をしていたというのに,お腹が減るのはなぜなんでしょうね.とはいえ,実はこの長い時間の睡眠が,今後の生活における「きらりと光るアイデア」とか「土壇場の素晴らしい発想」を生み出している可能性は否定できません.とまで書いたところでごめんなさい,ただの正当化です.
     そんなこんなで無駄に消費してしまった1日を,少しでも有意義なものにしようと思って今ブログを書いています.だいたいブログを書くときは「うおおおおおお今オレはこれを伝えたいんだああああああああ」という感じで書くのですが,今日はそうではないです.「か,書かねば」という感じで書いています.この文章を書くために幾つかのボツ案が存在して,タイトルだけ並べると「春休みの時間の使い方」とか「貧乏合宿Q&A」とかになります.ね,全然おもしろそうじゃないでしょ?
     「コレが書きたい」ではなくて「何か書きたい」という動機ではじめた文章なので,いつものように(いつももあんまりないですが)全体を統括するという意味でのタイトルではないです.アラームをかけずに寝て起きたら,午前中が消滅していた,というのは誰もによくある(と信じている)ことですし,コレを朝はじめて会った人に伝えたとしても「あっそう」という感じの返答で終わってしまいそうです.
     せっかくなので,今うんうんうなってなんとかひねり出した小さなトピックについてちょっと書いてみることにしましょうか.ちょうどタイトルとして書くには少ないけど,書きたいこともいくつかありますし.
     僕のTwitterをフォローしてくれている人にはわかると思いますが,ときどきパッと思いついたかのように「コレはこうだと思う」ということをtweetします.大体それはあんまり深く考えられたことではないので,各方面から「それは違うよ」とか「私はこう思う」とかいうreplyをいただきます.なんというか自分の甘さに気づけるいい機会なんですね.今回もそんな感じのことを書いてみようと思います.
 
     そういえば専攻が決定しました.うちの大学は実は1→2年次に進振り制度があって,1年次の成績によって学科配属が決定します.成績としては十分すぎるほど十分だと思っていましたが,情報理工学科への配属が決定されました.まだ何をするのかよくわかっていませんが,見たところプログラミングとか情報理論とかやっていくみたいです.
     将来の目標も決まっていそうで決まっていませんが,おそらくSEかプログラマになると思われます.あんまりよく書かれない業界で,実はブラックなんじゃないのかなと悩んでいるのですが,やっぱり情報技術はおもしろいですよね.自分が楽しいと思った情報技術で,世の中がもっと楽しくなったらいいなと思っています.海外就職もちょろりと考えています.別に具体的に何かをしているというわけではないんですけど.
 
     ちょっと思ったことなんですけど,なんとなく遅寝をしていると,面白い夢を見られることが多いような気がします.
     人間の睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠の2種類があって,たしかレム睡眠の間に夢を見るんだったかと思います.いつもは6~7時間の睡眠をとっていて,あんまり「この夢おもしろかったなあ」と思うことはないような気がします.たしか人間は見た夢の何割かをすぐ忘れてしまうとかで(データが適当すぎですね),実は面白くてもあんまり覚えていないだけなのかもしれませんけど.
     僕の夢には「いるはずのない人がそこにいる」とか「おかしな世界に生きている」ということが多いです.昔あったことや,これから起こるであろうことの夢を見ることは少ない.コレもなぜなのかなって思うことなんですが,夢の中で起こっていることって,どう考えても通常と違っておかしいのに,納得してしまうんですよね.コレをすぐに納得するのではなくて,「今じぶんは夢を見ているんだ」という意識ができるようになると,それはいわゆる「明晰夢」になります.コレを繰り返すと,思い通りの夢を見られるそうですね.なんか面白そうだけど,ちょっとこわいような気もします.
     ちょっとだけ想像力が豊かな僕としては,夢っていうのは「並行世界の自分に接続している」とかいうのが面白いなと思っています.
     ここでいう「並行世界」っていうのはいわゆる「パラレルワールド」のことです.今の世界と似ているけど,なかなか交じり合うことがなく,どこか違っている世界.夢っていう行為を通して,その「パラレルワールド」にいる自分に接続できる・・・.そんなことがもし起きているんだったら面白いなと思います.
     というのも,僕の夢の中では,色んな人が色んな役割を演じています.そういう世界は自分の頭が創りだしただけ,と考えるのが一般的なんでしょうけど,「そういう世界がある」と考えた方が面白いですよね.「宇宙の外側は無」もしくは「他の宇宙がいくつもある」という説もあるみたいですし,夢,という行為により時空をこえてそんな世界とつながっていたらすごく面白いと思います.
     ここまで書いて,これ以上も書くことはできるんですけど,なんだかものすごく頭のおかしいファンタジー人間臭がしてきてしまったのでやめます.やっぱり色んな意味で人間の想像力というのは尽きるとこがないですね.
 
     上の方で「トピックをあげていくつか書く」という風に書いたと思うんですが,これについても謝罪をいれておかなければなりませんね.上のひとまとまりの「夢の話」をしていたら,なんだかお腹いっぱいになってしまいました.
     長い文章を書くのがあまり苦にならない人間なので,書こうと思えばいくらでも長い文章を書くことはできるのですが,それは読む人にとっては申し訳ないです.こんなタイトルと乖離した記事を書いているくせによく言うよ,という意見も飛んできそうですが.

家庭教師はやった方がいいけど,やめた方がいいよ

     家庭教師のアルバイトを4月頃から始めたんですが,ちょっと前にやめたというか,クビになりました.今までの総評というか,これから家庭教師のアルバイトを始めたい人向けに少し伝えておきたいこともありますので,書くことにします.なるべく文句にならないように書きますが,文句になったらごめんなさい.あらかじめ謝っておきます.可能な限り中立的な立場で,メリットとデメリットの双方を書くことにします.

     担当していた生徒は小5で中学受験を控えていました.
 それほど偏差値が高いわけでもなく,55くらいのところを目指しつつ50切るくらいという子でした.理科と算数を教えていました.愛知県であんまり有名ではない中学校を受験した経験があるので,それを買われてということでしょうか.週1で2時間教えて夕食を出してくれました.待遇は悪くないというよりむしろ最高レベルです.それでは家庭教師というアルバイトのいいところと悪いところを1つずつ見ていくことにしましょう.
 
     まず,成績が上がるかどうかは最も重視されます.もちろんそれは偏差値とか点数のうえで.
     成績が上がっているか,(目標とする位置で)安定していれば何も文句は言われませんが,下がってきた瞬間に,直接的ではないとしても,色々と苦言を呈されることが多いです.彼は日能研に通っていたためテストは多かった.範囲の狭い確認テスト,範囲の広い確認テストで偏差値は行ったり来たりを繰り返していました.
     偏差値なんて受験する直前に目標とするレベルまで達していればそれでよく,あんまり気にする必要はないですよ.ということを伝えたのですがなかなかわかってもらえませんね.どう見ても教育熱心なお母さんという感じでしたし,アルバイトとはいえかなり高額の授業料を収めてくれているわけです.保護者の方にしてみたら,なるべく金額相応もしくはそれ以上の働きをしてほしいといったところでしょう.
     多くの方はご存知かと思いますが,成績に直結する教え方というのは難しいです.ここで少し中学受験のお話をすることにしましょう.
     見てきたところ,中学受験の問題において,単に知識を問う問題は少ないです.より実際の入試に近いと言われる公開模試を見れば明らかです.一言で言うならば「考え方を聞く試験」といったところでしょうか.これはその後の多くの試験にも直結することです.あまり教科書などでは見なれない設定も多く「状況を正しく読み解く」ことと「与えられた情報をもとに考えて,答えを出す」という,言うなれば「頭の良さ」が試されるのです.
     確かに各種の考え方を「公式」として暗記すれば,短い期間のテストは割と簡単に得点できます.ところがそういう一朝一夕で身に付けたものというのはすぐ抜けていってしまいます.どうしても長期的なスパンの中で「考え方」を身に付けなければならないため,なかなか目先のテストの成績は上がらず,色々と歯がゆい思いをする日々は続きました.こちらはしっかりと教えているつもりでも,実際の数字としての成績として結果が出てこないと,なかなか感じてもらえません.
     次に巨大な責任感がつきまとうことでしょうか.
     受験の補助教材として家庭教師の導入を決定された方にとって,家庭教師に求める責任感は大きいものです.それにはその生徒さんの人生がかかっているわけですから,いいかげんな気持ちでやってはいけませんし,やるべきではない.それが割と高額な報酬にも現れていますし,「誰かと替えがきく」職業であるわけでもないです.
     保護者の方も,生徒さんも,ものすごく尊敬した目で見てきます.アルバイトとはいえ呼称は「先生」ですし,1人のプロとして扱われ,プロとして振る舞うことを要求されます.その視線は割と重かったといえば重かったのですが.
     勉強を教えるにしても,(途方も無い罪悪感からそんなことは絶対にしませんでしたが)適当に教えてもバレることはありませんし,保護者の方は勉強内容にあんまり興味を示していないようでした.しかし教えるからには僕もなるべく全力で,自分がかつてやっていたのと同じように教えたかったため,試行錯誤しながら教え方を工夫しました.
     小学生を教えるというのは予想以上に難しかった.10年の年齢の違いというのは相当に大きいものでした.色んなことに結びつくことですが「何かを教える」ときには「その人が知っている別の何かになぞらえて教える」というのが便利です.『◯◯と一緒だよね?』といった教え方です.小学生が相手であってもそれで上手くいくかな,と思っていたのですがそんなことはありませんでした.
     やっぱり知っていることが少なすぎました.教えるための例がものすごく挙げにくい.
     小学生に学習として何かを学んでもらうためには,これでもかってくらい噛み砕いて教えなければなりません.かつて自分が納得してきたやり方は通じないことの方が多いです.あの例この例で教えても納得した顔をしてくれないときは本当に涙が出そうなくらい悲しくなりますね.とはいえ「自分が当たり前に納得していることを,それを全く知らない人に教える,理解してもらう」という生きていくうえでかなり重要な能力を身につけるいい機会にはなったような気がします.
     最後にコミュニケーション能力がかなり重要だということです.
     教えていた生徒さんは「わかる」「わからない」をあまり明確に示してくれる子ではありませんでした.そのため,教えるうえでの顔色の変化をなるべく注意して読み取る必要がありました.口で言っていることと本当のこととの間に齟齬があったことは何度もあります.「わかった」というので『じゃあやってみて』とやってもらうとできない.何度もありました.
     そこでため息をついたり,怒ったりしてしまっては誰にとって何の利益もありません.あの手この手で理解を促したり,ときには話題を降ったりとコミュニケーション能力は非常に重要でした.今回のパターンだと10コ近くも年が違うわけですから,ふだん大学生が使うような言葉では齟齬が生じてしまうことも多かったです.
     コミュニケーションが必要な場面は生徒さん向けだけではありませんでした.
     指導が終わるごとに保護者の方と話さねばなりませんし,僕の場合は夕食もご馳走になっていたため,かなりの時間を保護者の方とすごしました.基本的な興味は生徒さんの勉強のことであり,あまり現実をずばずば言うわけにもいきませんから,少し遠回しに言ったり,でも要点は伝えたりとなかなか難しかったです.もちろん世間話として今の自分の学習内容,大学生活についても話す必要があります.沈黙を嫌う質であるため色々と喋ってしまいましたが果たしてどう思われていたんでしょうか.
 
     こんな感じで10ヶ月くらい教えていましたが,僕の人生初めてのアルバイトは終了しました.
     おそらく主な原因は彼の成績があまり上がらなくなったということにありましょう.その他にも,僕がサークル活動や学習活動[要出典]に精を出しすぎたというのも理由の1つでしょうね.「来年は受験なので週2コマ入れないか」とか「直前期の年末・年始は帰省をとりやめて働いてくれないか」などの要望には申し訳ないのですが答えることはできません.
     ネガティブな面ばかり書いてきましたが,素晴らしい待遇をしてくれ,お金を得られ,「ものごとを教える」というチカラを身に付けさせてくれたこの経験はとてもいいものだった,と思うことにしました.
     やめることが決まった瞬間は目の前が真っ暗になったかのようでしたが.それなりの金額も得られたので,最近の僕の持論である「経験にお金を使う」を元に旅行にでもいってパーっと使うことにしようかなとちょろりと計画しています.今回の経験で,これから先いやでも知ることになるであろう「お金の価値」についてなんとなく知ることができたような気もしますし.お金の話はまたちょっとしたい話があるので,機会があればまた何か書こうかなと計画しています.
     今まで家庭教師をやってきた人も,今家庭教師をやっている人も,これから家庭教師をやろうと思っている人も.仕事を始める理由,続ける理由,やめる理由は様々あると思います.一般的には「高時給で楽」と思われている家庭教師ですが,意外とそうでもない部分もあるんだよということを知ってもらえたらいいなと思います.残念ながらその他のアルバイトを経験したことがないため,なんともいえないのかもしれませんが.
     今後のアルバイトはまだ選定中です.今までは教育系のものをやっていたので,そろそろ飲食系とかやって人生経験をつもうかな,とも思います.でもなんだかんだで家庭教師や塾講師に落ち着いてしまうかもしれません.ひょっとしたら今の専攻や将来すすみたい道であるWebデザイナーとかプログラマ系のアルバイトを選ぶかもしれません.話を聞く限り仕事は大変そうですが.
     もっとネットに公開できないようなちょっぴりダークな話や(これは本当に書けない),詳しい話を聞きたいという人はTwitterか何かで個人的にコンタクトをとってくださいね.たぶんいないと思いますけど.

     以下の文章はタイトルと全く関係がないので,読む必要はないです.
     そういえば最近,いますぐ書け、の文章法という本を読みました.ライターを職としてきた筆者がアマチュア向けに「文章の書き方」のようなものを提示してくれる本です.この本を読んで,自分の文章の書き方というのががらりと変わってしまったように思います.というか変わっていて欲しい.
     公開する以上は「読んでもらう」ためのものです.やっぱり「自己満足」じゃいけないのです.常に「読む人がどう思うか」を考えて書く必要があるのです.
     そんなことを意識しながらこの文章を書きました.ここまで読んでくれた方に感謝を示しつつ,それが少しくらいは実現されていたらいいなあと願うばかりです.それを意識し始めると,どうやっても今まで書いた記事がゴミの山にしか見えてこなくて困っています.今までは「読みにくい文章ほど高尚である」とかいうわけのわからない理論のようなものが自分の中にそびえ立っていたようです.たしかにそれは(厨二的な視点からすれば)いいものであるのかもしれません.でも「読みにくい文章」はやっぱり読まれることはなく,これもやはり自己満足になってしまうのです.
     「お前のことを知りたいのはお前の恋人くらいだ」とかいう言い回しがかなりぐさっときました.こういう感じの文章だとどうしても「自分語り」になりがちですがそういうのではいけないということですね.「僕の話」や「僕の経験」を聞きたい,読みたい人は多いけれど「僕」を聞きたい人はたぶんあんまりいないと思うのです.
     もっとも,ブログというのは自己承認のために書くものであり,サービスとしてではなくて,別に自分のことだけ考えて書けばいいんじゃないのという意見もありそうです.このへんも話したり書いたりしたらものすごく楽しくなるはずですが,文字数の都合上やめにします.前述の「読む人がどう思うか」理論を用いると,多分それは全く楽しくないです.僕だったら絶対に読みません.
     プロの物書きを目指す人は少ないですし,あんまり目指すつもりもありません.でも文章を書くという機会から逃れることはこれから難しいはずです.せっかく時間をかけて書くからには,なるべくいいものを書きたいですよね.その文章によって誰かの考え方や人生を変えられたら1番いいですが,楽しんでもらえば書き手としてはものすごく嬉しいのです.
     このブログを作ってから,たぶん2年くらい経ちました.書きたいときに書きたいだけばばばっと書いたゴミの山という感じですが,これからも少しずつ書き方を変えていって,面白いものができたら嬉しいなあ.
 
     そういえばその本に書いてあったこととして「頑張って自分を第三者の視点において,書いた文章を読み返す」ということを今回(たぶん)はじめてやってみることにしました.今まではとにかく書き終えたらお腹いっぱいですぐ公開していましたが,今回はそれをやめたということです.
     読み返すと些細な表現上のミスはさることながら,「これはないな」という書き方や言い回しもたくさんありました.
     最も多かったのが「無駄にまわりくどい表現」でした.読み返してから削られる表現の多いこと多いこと.今までそのまま公開していた自分を殴りにいきたくもなるくらいですが,これからの文章がなんとなくでも改善されることを期待してこのへんで終わりにしましょうか.ブログというのは文字数の制限がない以上,どうしても書きすぎてしまうものですし.

堕落した今日1日の話

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     やる気がうまい具合に出るかどうかはまた別の話として,やらなければいけないことはやらなければいけません,今回の僕に関してはそれは「試験に対する課題」という風に定義づけることができるでしょうか.

     朝8:30に起床して勉強するぞという予定はことごとく失敗し,実際のところ起きたのは11:30を少し回ったところだったでしょうか.こうして大学生が堕学生になっていくのだなあと妙にしみじみしても仕方なく,大幅に作業の進捗は遅れることとなったのです.進捗ダメです.
     思い返してみれば,高校,いや中学時代から,試験前のぽっかりと空いた休日を有効に使えた記憶がほとんどありません.「まだ数日あるから余裕だろう」という何の根拠もない自信によって,勉強という行為が行われることはなく,大体はインターネットに接続することができる携帯電話とかコンピュータによって,貴重(だと思う)な時間はどんどんなくなっていくのです.どうやったらやめられるかなあ.
     少し前にこんな僕も残念ながら成人式というイニシエーションを迎えてしまい,そろそろ人生のモラトリアム期間が終了して,真面目に「大人」として生きていかなければならないのだなあと思うと非常に頭が痛くなりますね.大人になりたくない!
     前にTwitterに書いたことだとは思うのですが,僕はあんまり自室で勉強するのが得意じゃありません.自室の机が基本的には教科書とノートが散乱するただの作業台のようになっているというのはまた別の話でして,とにかく自室では捗りません.一人暮らしになってからというもの近くにオフトゥンがあるしもう大変です.「ちょっと20分仮眠しよ」というのが試験前に大きなダメージを与えてくる行為であることは今更言うまでもないですね.長針は軽く1周りも2周りもしてしまうのです.
     そんなわけで東京に来てからは図書館やカフェで勉強することが多いです.その日に必要なものだけを持っていって,バーっと広げて,変える時にパパっと片付ける.やっぱり何か作業をする時にはその時に使うものはすべて手がすぐ届くところにあってほしいものですから,そういうニーズに非常にあっているような気がするのです.ときどき「自宅にあるあの教科書を参照したらわかるかもしれない」というのが出てきて困るところではあるのですが.そのうちすべての教科書が電子化されるようになればそういうのも解決されるのでしょうか.
     図書館は日曜日が休みであることを除けば素晴らしいところです.なにより無料で居られるしとても静かです.お水も飲めます.机が広いです.居眠りもできます.うちのキャンパスはなんでそういう風にするのかはわかりませんが,図書館にカバンは持ち込めず,入館時に入り口のコインロッカーに預けなければなりません.これはしめた,カバンと一緒にiPhoneMacも預けてしまって,なんとかあの遊び道具から自分を遠ざけて,作業効率を高めようと思ったのですが,結局のところ無駄な時間の使い方が「iPhoneをいじる」から「裏紙に落書きをする」とか「なんか面白そうな本を探す」に移行するだけであり,まったく効果はありませんでした.やっぱり自分という人間はクズなんじゃないのかなあと思う瞬間でもあります.そんなことよりコインロッカーの数は図書館内の閲覧席の数より明らかに少ないと思うのですがその辺りはどうなんだろう.まああんまりみんな図書館で勉強しませんしね.
     もちろんコインロッカーに荷物を入れるというのは非常に面倒な行為です.僕のようにそこそこ長く滞在するのならその手間をかける効果もあるような気はしますけど,ちょっと本を借りて返すくらいの間でも荷物を預けなければならないのはなんとも面倒です.そういうわけで荷物をロッカーに預けるものの鍵をかけない人というのが何人かはいるようです.この前「鍵をかけずに荷物を預けていたら何者かに鍵をかけられ,鍵をどこかに隠された」という女子大生の方がいました.鍵をかけなかった彼女が悪いと言えるような気はしますけど,なんだかちょっと可哀想ですね.わざわざ¥100かけてそんな悪質とも思える悪戯をする人の思考回路はかなり理解に苦しみます.盗まれたより良かったと考えるべきなのでしょうか.その後どうなったのかはわかりません.
     カフェと言っても基本的に居座るのはドトールです.スタバもいいのですが近くにないし何よりちょっと高いですね.ドトールであればコーヒーかカフェラテが¥200くらいでゆっくりできますし,お腹が減ったらミラノサンドとか食べればいいですし,お水のお代わりが自由です.今日も割と長くドトールにいました.机の広さとか24時間営業であることを理由にファミレスやマクドナルドを勧めてくる人も多いのですが,その手の店はやっぱりどうしても料理の臭いがしてきてしまうのが難点ですね.「そろそろご飯食べよう」と思っているときあたりにはきっと近くの料理の臭いに気が気でなく,作業効率は大幅に下がることでしょう.ふと考えたところ「カッフェで勉強する僕かっこいいーーー」みたいな大二病的な何かもちょっと,いや結構あるかもしれませんね.この文章が大二病でないことを正当化するための何かである可能性も捨て切れませんし.
     今日主に取り組んでいたのは電磁気でした.といっても教官の進度の問題から「電」くらいしか扱っていませんが.大学になると物理が数学になってしまうというのはどうやら本当のことだったみたいで困っています.春学期に運動方程式微分積分で解釈するところや,慣性モーメントを求めるところまではするする理解できたのですがやっぱり目に見えない電磁気は大変です.たぶん今は「ベクトル解析?」みたいなことをやっているはずなのですが,数学で習ったばかりの面積分とか線積分,多重積分をぐるぐる用いるので頭もぐるぐるしてきます.もちろんうんうんうなって考えればわからなくはないのですが,始まりはどうしても書かれている記号の意味を理解するとかそういうところから始まってしまうのであり,なんとも時間がかかってしまうのが難点です.やらねば.
     適当に書き始めたら大体書くことがなくなったのでそろそろ終わりにしようと思います.いい息抜きになってくれたらいいと思って書き始めてから今で大体30分くらいでしょうか.無駄に長い文章をある程度高速で書くというのは苦手ではないので,ときどき息抜きにこういう文章も書くのです.そういえばサークルの部誌の原稿がまだ途中かけだったような気がしますが気付かなかったことにしましょう.
     こんな文章を書く暇があるならちょっとは課題を進めたらどうなのよという声が聞こえてきますね.僕もそう思います.息抜きのために書き始めたこの文章ですが,終盤に差し掛かったのにさっぱり課題をやる気が起きません.息抜きとはなんだったのか.これもテスト前に部屋の掃除とか模様替えをしたくなる「期末テスト症候群」の1つだと思っておくことにしましょうか.
 

恋愛とコミュニケーション(失敗談)

     ご存知の通り,近年コミュニケーションのやり方というのは大きく変わっています.今回はそれと恋愛を結びつけた文章を書いてみようと思います.というのも今日は世間で言うところのクリスマスであり,なんとかそれには触れないように今日を送っていこうと思っていたものの,やっぱり恋について考えずに1日を送っていくのは厳しいものだったからです.そこでどうせだからそれについて考え,この1年の反省を込めたものを1つ書いてみようと思ったのです.大学生はそういうお年ごろなので恋愛は好きですし,僕自身も少し前に色々あったわけで*1,今日のクリスマスのこの状況が生まれているのです.今日はクリスマス,少しくらいは日常と違うことをしてみてもよいでしょう.

     相手が何を考えているのかを読むのはとっても難しいことです.カイジとかライアーゲームといった漫画を読んだことのある人ならわかると思いますが,欺いたり欺かれたりを細かい情報から読み取っていくのは非常に困難です.恋愛においても戦略性が大事であり,相手の行動から思考を読み取り,それに応じた対応をして,望むべき最良の結果が得られるように策を打っていく,言うならば「戦略的な恋愛」をするのが良いという意見もありましょう.僕は恋愛はやっぱり何らかの聖域というか,やっぱり勝負とかいう姿勢で望むべきではなく,気持ちと気持ちの寄せ合いとかそういう姿勢で作っていくものなんだと思っています.もちろんそんな考えはものすごく甘いものであり,それにより過去の僕の失敗が生み出されているような気もするのですが,やっぱりそうとしか思えないのです.
     相手の思考を読んでいるつもりでも,結局「自分だったらどうするか」というのを読んでいるだけであり,最終的には自分という鏡と向き合っているだけである,という話はよく出てきます.だから恋愛において人の思考を読み取ることは不可能であり,気の向くまま直感で当たって砕ければいいのでは?という意見も少なからずあるでしょう.前述のとおり,恋愛において人の思考を読み取るのは難しく,僕はもう諦めました.無理です.無理無理.というわけで今回は僕がどんなものを使ってどのようにして他人の思考を読み取ろうとし,どのように失敗したのかを書くことにしましょう.少しは面白いものができるはずです.
 
高速かつ適切な返答を要求されること
     リネ*2はその先進的なのか何なのかよくわからない機能で数多の恋する少年少女の心を乱しています.リネはスマートフォンを買っても絶対にインストールしないぞ,と意気がっていた僕も早々陥落し,今では生活に欠かせないものとなっているように,その勢力はすさまじいものです.携帯電話でのメールもかなり心を悩ますものでしたが,リネのチャットは大変です.
     まず第一に既読機能,これは大変です.メールであれば送信しても相手には自分がそれを開いたのか開いていないのか知らされることはなく,じっくりとメッセージを読み取り,ゆっくりと返信を練ることができます.ところがリネではそうはいきません.いわゆる「既読スルー*3」は許されない風潮であり,頭を高速回転させてなんとかうまく返すしかありません.
     コミュニケーションの中で,言語以外の非言語コミュニケーションによって伝えられる情報は意外と多いです(何割だったかは忘れましたけど).第二に文字だけであるということが挙げられるでしょうか.ご存知の通りリネのチャットで伝わるのは文字だけですから,通常よりも少ない情報で色々と判断するしかありません.僕の場合は相手とあんまり会えなかったので,ここから判断するしかありませんでした.それも僕の判断を狂わせた一原因になっていたはずです.文字通りの解釈の他にはやはり返信にかかる時間が多くを占めてしまいます.様々な深読みをして,色々と疲れてしまいますね.
     リネは手紙に近かったメールよりはむしろ,実際の会話やチャットに近いものです.会話のログが簡単に見られたり,吹き出し形式になっていることからもわかりますね.実際の会話に近いものを実際の会話で得られるものより少ない情報量でやっていくわけですから,勘違いしてしまうのも当たり前かもしれません.(こうやって自分を正当化していくのです)
 
自分以外の相手への振る舞いがわかること
     今までのコミュニケーションツールと違うこととしてこのことも挙げられますね.リネでのグループチャットやTwitterFacebookなどがこれにあたります.今までのメールや通常の会話は,基本的には1対1のコミュニケーションだったのに,です.そのため無意識のうちに自分と他の人への対応を比べてしまうこともありましょう.また,TwitterFacebookはそのメッセージが誰に向けてのものであるのかわかりにくいという性質もあります.1対多数とでもいえるでしょうか.これも勘違いを生み出してしまう原因の1つであったのは確かでしょうね.
     勘違いだけでなく,自分と他者を比べてしまいやすい状況にあるわけなので,どうしても恋愛において不可避な感情の1つである「嫉妬」を生み出してしまうこととなります.
 
相手に関する情報を知りすぎてしまうこと
     これは実際のところいいのか悪いのかわかりませんね.恋愛の中では,相手の好きなものを知ろうとしたり,自分も好きになろうとするということはよくあることです.そのためにFacebookTwitterのプロフィール欄はかなり有効であるといえるかもしれません.相手の好きな音楽やアーティストを,その他の様々な嗜好を簡単に知ることができます.相手の嗜好だけでなく,相手が何を発信しているのか,相手は過去に何をしていたのか,相手の人間関係は,などの本当にたくさんの情報を知ることが出来ます.やっぱり好きな相手のことはなんであれ知りたいものですよね.そうやってまたたくさんの時間が流れていきます.
     相手の画像を得られるというのも書くべきでしょうね.好きな人と写っている写真があれば嬉しいですよね.ため息をつきながら画像を見ることで,そういう気持ちももっともっと膨らんでいくのかもしれません.
     相手に関する情報をたくさん知れるということに加えて,得られる情報がよりリアルタイムに近いものであることも特筆すべきことであるかもしれません.「今あの人は何をしているのかなあ」ということはどうしたって考えてしまうものであり,そういう気持ちを満たすものとしてはいいものなのかもしれません.
     でもそうやって相手のことをたくさん知ったとしても,失恋してしまえばそれは自分の首を絞めるものでしかないのです.たくさん相手の好きなものを知れば,そのものを見かけた時に思い出すことによる自分へのダメージも同時に大きくなります.その辺りの諸刃の剣な部分ももちろん意識しておくべきでしょう.
 
24時間いつでも繋がれること
     これも非常に大きな問題ですね.前述のようにいつでも相手のことを知ることができるのはいいことかもしれません.でも逆に,24時間相手から発信されるメッセージが,24時間相手のことで悩むという動作へのトリガーとなってしまいます.
     逆に「24時間いつでも繋がれること」によって,相手を拘束してしまうことへの懸念は尽きないものであるような気もするのです.前述のとおり,リネでのチャットは相手に高速なレスポンスを要求するものであるため,送るタイミングは非常に重要です.僕の場合は,いつでも送れるからじゃあいつ送ろうかと思って色々と悩むものの結局数時間経っても決心はつかず,やめようということが多いような気がします.
 
     とまあいつものようにぐだぐだ長く書くのをやめて箇条書きにしてみましたが,ちっともわかりやすくなく,何も得られることのない文章がまた完成してしまったのを非常に残念に思います.少しは読みやすい文章を書きたいなあとも思うんですけど.
     色々と調子に乗って分析してはみたものの,やっぱり恋愛に対するコミュニケーションなんてものに正解はないですし,もしあったとしても僕では見つけ出せるような気が全くしません.そのため僕はきっとこれからも色々と悩んで,またTwitterに色々と発散して,それで仕方なく生きていくような,そんな気もするのです.前にも書いた気もしますが,こういう文章は「誰かには見ていて欲しい」ものの1つになるんでしょうね.書くことによって自分の中で整理する.でもそれを自分の中に秘めておくのは勿体無いから,こうやって公開しよう,といった感じでしょうか.
     でもコレもまた,若い僕が色々と悩まなくていいことを悩んだ記録の1つにはなることでしょう.
     1つ大事なことを書き忘れていました.僕がこうやって色々と書いてきたことを,相手も考えている可能性があるということです.コミュニケーションはどうしても独りよがりになりがちです.そういうことを意識しつつ,適当なコミュニケーションの方法を探っていくことも,こうやって神経をすり減らさないように生きていくためには重要であるのかもしれません.実はこんなことを考えているのは僕だけのような気もしますけど.
     また今回も無意味に文章が長くなりました.クリスマス企画ということで,24日と25日の間に公開しようと思っていたのですが,いざ書き始めるとどうしてもたくさん書いてしまいこんな時間になってしまいました.残念ですね.
     これを読んだ人が「こういうこともあるんだなあ」と思ってもらって,もしかしたらこれを読んでいる人の中にいるかもしれない僕に好意を持っている人が僕についての情報として得るものの1つになってもらえるならば,そんなに嬉しいことはないですね.メリークリスマス. 

*1:約1ヶ月ほど前まで遡る.思い出すと今でも死にたくなります.

*2:LINE(ライン)と呼ばれる緑色アイコンのSNSアプリ.スマートフォン所持者のほとんどにインストールされているはず.

*3:メッセージを見ているのに返答が行われていないこと

書きたいことが溜まってくると

     何か文章を書くときには,やっぱり何を伝えたいかとかいう目的意識をはっきりさせてなおかつ,誰に伝えたいかということもはっきりさせて,論理的に正しいというかそういう文章を書けということをどっかで読んだような,聞いたような気がしますけど,僕は別にそうじゃなくてもいいんじゃないのかなあって思うんですよね.こういうブログもやっぱり,140文字で絶対に制限されてしまうTwitterとは違って,書くのにもそれなりに時間はいりますしそれに,ちょっとばかり偉そうなことを書こうとしてしまって,少しばかり身構えてしまうものです.後から読み返してみるとどれも,失笑を誘うというか,若いんだなあと感じるものばかりですね.

     さて今回の文章は,上の段落で書いたような,文章を書くための心構えみたいなものを全部無視して書こうかなと思います.Evernoteの話のところでも少ししたとは思うのですが,ちょっと前からブログの文章を含め色んな文章が,書いているうちにどんどん変な方向へ行ってしまって,結局のところ何を言いたかったのかわからなくなってしまうという現象が起きていました.それを防ぐために何か書こうというときにはメモをとるということをし始めたのですが,メモというのがすべての解決策となる素晴らしい方法だったかと考えるとどうやらそうではないようでした.メモをとることによって,ある程度は自分の中の考えが整理されて書きやすくなるんですが,なんというかメモから記事を書くには心構えが必要というか,チラシの裏系の軽いことが書きにくくなってしまったんです.やっぱり人間って面倒なんですね,はああ.
     この文章は,思いついたことを思いついたまま書くので,整合性とか論理性はさっぱりありません.僕が誰かと実際に会って話すときに,しばしば「話題が変わりすぎる」ということを指摘されます.この文章もきっとそうなっているはずなので,この面倒くさそうな文章を最後まで読んでくれるという心優しい方は,僕のくだらない話を聞いているという感じで読んでくれるとそれなりに感じが出て楽しいのかもしれません.ただ,実際の僕も一応は人間なので,誰かと話すときはその人の反応を気にして,話し方や内容を変えることはもちろんあります.そういう意味で少し違うものなのかもしれませんが….
     メモをとるというのは非常に重要だよという話はよく聞きます.最近ではGunosyとかはてなブックマークで記事を漁るというのを日常のルーチンの1つとしているので,効率のいい仕事の仕方とか,ビジネス向けっぽいものをよく読むので,そのせいもあるんだろうなあとか思います.高校生だったかの頃に一度,メモ帳を持つという生活を始めようと思い立ったことはあったのですが,さっぱりうまくいきませんでした.僕は頻繁にカバンを変えるのが好きなので,まずメモ帳1つだと普通に入れ忘れます.仕方ないのでカバンの数だけメモ帳を持とうという結論に至ったのですが,そうしてしまうと今度は何をどこにメモしたのかさっぱりわからず,メモ帳のメモ帳みたいなものすら必要になってきてしまいました.そうこうしているうちに,割とメインで使っていたメモ帳を失くしたり,その他のメモ帳が雨に濡れて色んなことを喪失たりとまあ色々あって心が折れ,結局あきらめました.今思うと非常に情けない終わり方ではあるんですけどね.高校生の頃はノートや教科書の裏表紙を使っていた記憶があります.
     そんなこんなでしばらくメモのない生活を続けていたのですが,やっぱりそれなりに重要なことはメモしておかないといけないし,大学生になって「今度こういう予定があるよ」と言ってくれる友達や教師のような存在が少なくなったこと,自分と全く同じ予定で動いている人が少なくなってしまったことなどから,仕方なくメモや手帳に頼る日々がスタートしてしまいました.重要な事を忘れずに覚えるということがもう少しできるといいんですけどねえ.
     それで今は,iPhoneのカレンダーアプリと,Evernoteに頼りきる毎日がスタートしてしまいました.紙のメモに限界を感じて,やはり最先端の技術であるクラウドを駆使したメモを使用することが現代人としての努めである,というのは建前で,たぶん「うおおこうやってクラウドをざくざく使いこなしている僕かっこいいー!」とかそんなんだろうと思います.きっかけなんてものは大抵はそんな感じであるべきで,しばらく使うまではそのサービスの良さなんてものはさっぱりわかりません.しばらくその2つを使ってみたのでそれもちょっと書きますね.
     最も使いやすくて面白かったのは,Macと同期できることでした.僕はスマートフォンのキーボードで入力するよりも,フルキーボードで入力する方が得意なので,長い文章を入力するときはもちろんいつもMacを使っています.後期の予定ーとか前期の予定ーとかいうのをMacからクラウドにざくざく入力して,予定が迫ってくるとそれをiPhoneでいつでも確認できる,そんな感じで使うのが僕にはあっているみたいです.あともちろんMacの方が画面も大きいので,急な予定はiPhoneから入れて,週や月のはじめなんかに予定の概観をざざっと見られるというのも嬉しいですね.こういうことはGmailにも当てはまることです.
     Evernoteをどんな風に使っているの?という質問もときどきもらうのでそれも書きます.言ってみれば,何でもボックスという感じでしょうか.Evernoteにはメールでノート作成を受け付けてくれる機能があるので,重要なメールはEvernoteに転送してノートにしておけば,いちいちメールボックスをスクロールする手間が省けます.明日の予定の乗り換え案内もスクラップして入れておけば,当日になっても短時間で乗る電車の確認ができます.インターネット上で気になった記事のスクラップというのもしています.後から読み返したら何かの役に立つのかなあ,みたいなもの,何かの役に立つばかりか,見返したことすら一度もないですけど.あとはブログの構想みたいなものですね.やっぱり書きたいことっていうのは街中を歩いているときとか,外でだらだらしているときとかそういうときに思いつくものであるので,いつでも手元にあるiPhoneにとにかくパパっと入力しておけるというのは素晴らしいことです.そのメモをもとに家に帰ってからMacで文章を書いて,それをEvernoteの中に入れておいて時間があるときにiPhoneで見返してちょちょっと修正する,こんなこともやっています.
     そういえば,いつかブログの記事のタイトルの話をしようと思っていたのに結局できていなかったので,今その話をしようと思います.ブロガーになるためのハウツー記事みたいなものには,ブログのタイトルというのはいわゆる「つかみ」であって,そのブログが将来的にたくさんの訪問者数を得て,有名になるという過程の中でとにかく記事に興味を持ってもらうという点でものすごく大事である,ということが書いてありました.まあ確かにそのとおりであるとは思うのですが,ここで僕の記事のタイトルのつけかたの話をしましょう.やっぱりタイトルである程度記事の方向性を決めていくことは重要であるし,そういう風に記事を組み立てていくことはそれなりにはやりやすいやり方であるのです.とはいえタイトルは今までの記事でのつけかたを思い出してみると,長くても15秒程度しか考えるために時間を使っておらず,書いているうちにアレこれはちょっと違うぞと思ってしまうということも多いです.とはいえ全部書いたあとにタイトルをつけるというのも,逆に自由すぎて困ってしまうような気もします.どうすればいいんでしょうね.知らんがなという回答が返ってきそうですがまあ,これもひとつ.
     ここ数日は日付を超えて割と時間が経ってから寝て,午前中もそろそろ終わりにさしかかったころに起きてだらだらして,大体おやつの時間になったあたりまで出かけるか出かけないか悩み,結局は出かけて図書館かドトールでだらだらするという生産的な生活カーストの最底辺みたいな生活を送っています.最近では机がむしろ勉強とか作業するという場というよりは,日常的に使ったり持ちだしたりするものを一時的においておくためのただの台のような感じになっていますので,物が多すぎてちっともそういうことをする気分になれません.もともと外に出かけて何かをするというのが好きなので仕方ないですね.勉強とか何か書くとかいうことは,普段と違う環境に自分をおくとそれなりに雰囲気も出て,なんだかいいものが生まれたり,するする進んだりするものなのかもしれません.周りで自分を含まない誰かの会話とか,声が聞こえていて,エアコンの作動音しかしない自宅よりさみしくないからかもしれないですね.誰かと一緒に何かしようとかそういう気はあんまり起こらないのですが,ある空間に1人きりというのはそれはそれで嫌だなあという面倒な性質は今も健在であるのでした.もちろん,「ドトールでMac出して作業している僕かっこいいー!」というのも少なからずあるかもしれません.というところまで書いたところでむしろ,それがほとんどなのではないかという気にもなってきました.ドトールはアイスコーヒーが¥200だから良いのですが,スタバに行ってしまうとどうしても抹茶軍団の誘惑から逃れることができず,高くついてしまうのでなかなか行けずにいます.
     ちょっと前まではサークル活動に勤しんでいて,常に誰かと一緒にいるという生活が長く続いていました.それが急に終わってしまって,なんだかものすごく寂しい感じが残っていて困る,というのはちょっと前にtweetしたと思いますけど,これも不思議なもので,しばらくひとりぼっちの生活を続けていたら,むしろこっちの方が自分に合っているとか,自分にとって通常なんじゃないかなと思えるようにもなってしまいました.でもやっぱり不思議なことはあるものです.サークル活動に勤しんでいたころは全くなかったのに,今ひとりぼっちの生活を続けていると,不思議とブログ書きたくなってくるんですよね.結局この記事のタイトルがやっとここに帰着するのですがまあそれはおいておくことにします.Twitterも確かに楽しいものではあって,一時的に何か言いたいなと思うときにはすごく有効な手段であるとは思うんです.適当に反応が返ってきて,適当に心が満たされますからね.まあでも僕としては,会話とかそんな感じのものみたいに一続きのまとまった文章を読んで欲しいわけなので,やっぱりこうして何か書かないと落ち着かないというか生きていけないのです.人間というのはアウトプットしないと生きていけないものなんでしょうか.
     こうして,何のためにブログを書いているのか,みたいなのを定期的に振り返るという習慣みたいなものはずっと続いていて,これからも続くようになるのかなあと思うと少しだけ感慨深くもなりますね.思い返してみれば,初めてブログを作ったのは中2の中頃くらいだったと思います.もちろんそのブログはしばらく前に消してしまって,何を書いたのかと振り返ると今でも枕に顔を埋めて足をばたばたというか,それで済めばいいですけどあわや死にたくなるくらいのものです.すごくどうでもいい話をするならば,前回の記事は,実は書ききるのにすごく長い時間を要していて,多数の構想メモみたいなものがあったり,4回くらい書き直したりしたものであり,そんなどうでもいい時間を過ごしつつも完成したものであるのです.でも今回の記事はそんな構想だったり下準備だったりというものは全くなく,書きたいことを書きたいまま書いていたらこんな分量になってしまって困っています.やっぱり気楽さに任せてざくざく書いていってしまうと,よくわからないものが完成するだけなんですね.いつになったら満足できる少ない分量で文章を書けるようになるんだろうと思うと頭が痛くなってきますけど.
     とまあこんな感じで,特に面白い話が始まるわけでもなく,今回の記事もここまで続いてしまったわけなんですが,ここまで読んでくれた暇j…すいません素晴らしい読者様には感謝の意はいつまで経っても尽きません.こんなのチラシの裏にでも書けよという人はきっといるんだろうなとは思うのですが,自分という存在を誰かに認めてほしいというのはきっと僕以外の人間の多くが持っている感情というか性質だと思うので,こういう完全に無益な情報は,これからも有限なインターネットという世界を圧迫していくことになるとは思うのです.実際に誰に読まれているかと想像するのはちょっと恥ずかしいけど,誰かには読んでいて欲しい.そんな面倒な感情で,僕という人間は今までもこれからも出来ていると思うのです.
     僕が多重人格というか,会う人,所属する人間関係によってキャラであったり振る舞い方を変えているというのは前回の記事でも書いたことであるし,たぶん実際に僕と会って,なおかつTwitterFacebookでも僕という人間を認識してくれている人は気づいていることと思います.寂しい感じの夜にひとりで色々と考えて出た結論をなんとなくのままでここに書くとすると,やっぱり誰かには認めて欲しくて,それを色んな視点から見て欲しいっていうことになるんじゃないのかなと思います.色んなキャラの自分がいて,それのどれか1つを好きになったり嫌いになってくれる人がいて,ちょっと仲良くなって,その他の自分を見られて,それでもっと好きになってくれたり,もっと嫌いになってしまったりということもこの先起こるんでしょうか.よくわかりませんけど.
     で,何の話をしていたんでしたっけ.

人間関係の重なりの中で生きること

     人間関係というものは僕達を悩ませたり,喜ばせたりするものの1つであって,それがここ最近になってどっと増えたり,凄まじい攻撃力で牙を剝いたりすることがあるんだよという話を今からします.とはいってもこの話にはもちろんいつものように結論はなく,ここ最近であったこととか,自分でゆるゆると考えたことが多い(ひょっとしたらすべてであるような気もします)ので,今回も話半分で読んでいただけると嬉しいです.

     新しい生活が始まって,僕は未だかつてないほどの人間関係をたくさん手にしました.ここでいう人間関係というのは,どちらかというと1対1の関係というものではなくて.共通項をもつ人たちの集合といった感じでしょうか.人間関係が重なりあって僕の毎日をつくっています.大学のクラス,サークルその1*1,サークルその2*2,合唱団,高校からの同級生,Twitter,友達の友達,顔だけ知っている人,バイト先,家族…といった人間関係がぐるぐる蠢いて僕の周りを回っているかのように錯覚することもあります.
     高校生であったときには僕は考えてみたところ3つの人間関係しか持っていませんでした.学校生活と部活動とTwitterですね.色々な失敗があったにせよ*3,この3つはしっかりと制御するべきものです.とはいえ学校生活と部活動は多くの部分を共通項としていますし,Twitterはほとんどがインターネットのみで知り合った人との間でやりとりしていましたから,相互関係はほとんどなく,あんまり頭を悩ませる必要はありませんでした.高校生のほとんどは予定が真っ白であり,その人間関係は必要な時間という意味では競合することもありませんでした.そのうちのどれかの人間関係で失敗したとしても,ちょっとおかしな考え方ですけど,まだあるからいいやとかいうので,他の人間関係で頑張って満足するということができていたように思います.そうやってあっちに力を入れたり,こっちに力を入れたりして,僕の高校生までの生活は終わります.浪人生活は本当に辛かった,人間関係があったのかなかったのかすらわかりませんからね.このあたりはそのうち個別に書くのかもしれません.でも大学に入ってから,僕の人間関係はがらっと変わったのでした.
     上にも書いたとおり,僕の大学生活での人間関係は4つになったのでした.構成員はがらっと変わって,ほとんどが新しい人たちであるのにそれが,一気に毎日の生活の中へと入り込んで来ました.どうしてその人間関係に所属するようになったのかという話はとにかく平凡すぎるストーリーにしかならないのでここでは省くことにします.でもその人間関係は,高校生までとは違って,より毎日の生活の中の深いところへと入り込んできたのです.それもそのはずですよね,学校のクラスという人間関係はそうでもないですけど,サークルでの人間関係では,そのメンバーたちと過ごす絶対的な時間の量は大きくなるからです.そうはいっても,時間を長く過ごしているからというのはいささか簡単すぎる結論のようにも思えるので,ここからはちょっと別な方面から話してみようかなと思います.
    暇そうな大学生であっても,やはり時間に限りはあるものです.サークルの活動というのの大抵は1日単位で行われるので,僕の予定はどんどん埋まっていきました.ただ埋まって行くだけなら良かったんですが,僕のように兼サー*4をしている人はよくわかると思います,そう,予定が重なって入ってくるのです.そうなると,やっぱりイベントであったり,果てはサークルそのものに対しても,優先順位をつけないといけない.それはすごく悲しいことであるとは思うんですけど,やらなければいけないことなんですよね.いくらやりたいことがあっても,身体は1つしかありませんから.そんな自分がすごくずるくて,時々いやになるくらいです.
     僕は人間っていうのは人間関係の中で形作られるものであって,他者は絶対に必要であると思っているんですが,そうなるとやっぱりメインというか,最も力を入れる人間関係というのは存在してしまうはずです.この宣言には明確な根拠というものは存在しませんが,やっぱり僕の能力では,そういう風にしか人間関係をコントールできなさそうです.先述の,どれかの人間関係で失敗したとしても他のところでうまくなる,というようなのと似ているかもしれません.僕は意識的には,そういう優先順位をつけないようにはしているつもりですけど,たぶん無意識のうちではそういった優先順位をつけてしまっているんでしょうね.もし,自分がそれをメインというか,最も力を入れる人間関係だと思っているところに属する人が,実はそれをどうでもいいと思っていて手を抜いているということ,ひょっとしたら無意識のうちに自分はそうなっているのかもしれないということを考えるとなんともぞっとしてしまいます.
     人間関係の中では,大会だったり,おしゃべり会だったり,旅行だったり,合宿だったりと,色々なイベントが発生します.学校生活という人間関係ならば嫌でも顔は合わせるのですが,それ以外の人間関係であるとそういうわけにもいきません.イベントに参加しないと話すこと,会うことも無理です.もちろん最近はリネ*5という便利な?ツールもあって,コンタクトを取ろうと思えばいつだって取れるのですがやはり,実際に会って話すこととそれの間には雲泥の差があります.そうやって無意識のうちに優先順位をもとにイベントを取捨選択してしまう自分もいるのです.あっこれは行かなくていいやとか,ああこれは行きたいなーとか.
     こういうのはアカウントとか,RPGのセーブデータを使い分けるのと似ているかもしれませんね.とはいえ,ゲームのセーブデータは放っておいてもそのままの状態で始めることができるのに対して,人間関係はそうはいかず,適当な間をおいてメンテナンスだったり手入れだったりをしないといけないのが大変です.あるときはメインだと思っていた人間関係でうまくいかなくなって,もう一方のところをメインにしようとするけど,手を抜きすぎていたがためにどうしようもなくなっていた,なんてこともあるかもしれません.今のところはないですけど.
     ついでに僕はどうやら多重人格みたいです.僕の血液型はAB型であり,AB型は二重人格であるとかいう使い古されたネタはもちろんおいておくことにして,どうやら人間関係に依存して,場合によっては振る舞い方であったりいわゆるキャラというものががらりと異なるみたいです.それぞれの人間関係の中ではもちろんその中の1つしか見せていないわけで,果たして本当の自分っていうのはなんだろうなと頭を悩ますこともあるくらいです.もちろんそれ全部を合わせて自分なんだよという人も多いでしょうけど,僕自身は先述のように,人間というのは他者との関わりの中で形作られると思っているので,周りにいる人が違えば自分っていうのは違うんじゃないのかと思ってしまうのです.「◯◯*6はもう1つのサークルではどんなキャラなの?」と聞かれると頭を抱えたくなります.やっぱりキャラが変わっていることはわかる人にはわかるものなのかもしれないし,みんなそうなのかもしれない.
     人間関係によってキャラであったり振る舞い方を変えるということがいいことなのか悪いことなのかは考えたところでさっぱりわかりませんけど,やっぱり僕はそうやっていないと生きていけないし,それが楽しいんじゃないのかなと思うこともあります.頭の中で仮想的に,ある人間関係で過ごす自分を他の人間関係で過ごす自分が眺めるというのはそれはそれで楽しいです.
     結局のところ何が言いたいのかわからなくなってしまったのですが,今回はこれでいいのです.今までは日常の不思議とか悩みとかを,なんとか頑張って分析っぽい何かをして,何らかの結論を導き出すという形で記事を作ってきました.今回もそのような形で行くことができればよかったのですが,書いているうちに重要なこと,書きたいことがどんどんどんどん膨れていって,どうしようもなくなってしまいました.そういうことが起こるのを回避するために書き始める前に一旦Evernoteにメモを取ったり,とにかく書いてみたものを一晩寝かせて,その後で読みなおしたりしたのですが,あんまり効果はありませんでした.文章を書くのって本当難しいですね.そのため,これはただの言い訳であり,自己完結です.僕がTwitterを始めた頃と違って,現在ではリアルの実際に会って話す人間関係の中から僕のTwitterアカウントをフォローしてくれている人も何人かは現れてきたので,この記事に目を通してくれる人も一定数はいるはずです.僕がイベントへの参加率が低かったり,働きが悪かったり,よくわからないことを話していたりするのはこういうわけなんだということを知ってくれる人がいれば僕にとっては嬉しいです.周りから見れば僕は何も考えていない楽観主義の人のように見えるかもしれませんが,一応ちゃんと考えてはいるつもりです.おしまい.
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     書きたいことが多すぎて書ききれなかったということをさっき書きましたけど,全くそのとおりなのです.僕としては,人間関係を扱ったりコントロールしたりする中で混乱したりイライラしたりすることをTwitterFacebookのせいにしてとからめて書きたかったのですがただでさえ冗長な文章が更に冗長になってしまうのでやめました.昔は現実世界に対する不穏な空中reply*7でしかなかった僕の中でのTwitterも,先述のようにリアルでの知り合いが多数進出してきて変わってきたので,そのあたりについても書けることならば書いてみたいですね.このブログはTwitterでしか更新お知らせ等をしておらず,見てくれるのはほとんどTwitter民であるはずなので,Twitterについて書くのはもはや必然なのです.とはいえ,ここ最近の記事を見なおしてみると,次回以降の予告がほとんど次回以降の予告として機能しておらず,これもまた変わるのかもしれませんが….本当ごめんなさい. 

*1:オリエンテーリングというスポーツをします.

*2:英語サークル,いわゆるESSですね.

*3:3番目に重きを置きすぎたという指摘あり.

*4:いくつかのサークルを掛け持ちすること

*5:LINE(ライン)という呼び方を用いる人が多い,緑色アイコンの例のアプリケーション

*6:僕の本名が入る

*7:現実世界に対する愚痴,と同値

悩みの多様性という話

     自分が何かについて悩んでいるときには大抵,まわりのことがあんまり,いやほとんど見えなくなって,そのことについて悩んでいるのは自分だけであり,まるで自分が世界でただ1人取り残されたかのように感じるということが僕の中ではなくはないのですが,決してそれはそういうものであるというわけではないんだよという話を今からします.

     僕が今までTwitterをやってきた限りでは,TL上で日々,何かに困ったり,何かに悩んでいる人というのは意外と多いです.Facebookやその他のものWEBサービスとは違い,物事が起きてから,何かをtweetしようと思ってから実際にtweetするまでの期間が短いので自分を取り繕うということをしないからなんじゃないかなと思います.昨今のTwitterで人生が終わってしまう人を見ているとあんまり熟考してからtweetしているという風には見えません.もちろん悩みtweetをするという人(ほとんどの人ですね)がそういう意味合いからtweetをするわけではないというわけではあるのですが.
     多くの人がtwitterFacebookをやって,楽しいと思わないにしても,少なくともやめたいとか辛いとか思わず,ずるずるやってしまうのには,誰かに見ていてほしいというのがあるからだというのは前に何回も書いたことです.起きたとかご飯を食べたとか寝るとかいうtweetをついついしてしまうのは,なんとなくの寂しさがあって,自分は確かにここにいて生活しているのだというのを,明確でない誰かには見ていてほしいからだというやつですね.このへんの欲求を満たすものとしてのメールやその他のコミュニケーションツールとは違うtwitterの働きについても確かどこかで書きました
     そういうのを注意して見ていると,やっぱり悩みとかそういうものの多様性をかなり実感します.色んな人が色んなことに悩んでいて,自分より能力が雲の上の人も,自分からしたらちっぽけ?ともいえることで悩んでいる.そういうのはすごく自分を元気づけてくれます.前にも書いた「誰かが見てくれている」論法の他に,名付けるならば「誰かも自分と同じだ」論法といったところでしょうか.誰かが悩んでいるのを見て,ああこの人も悩んでいるんだなあと思って,別に励ますということはないけれど,ちょっとだけ楽になって自分も悩みを投下する.そうやって悩みがぐるぐる回っていって少しずつ色んな人の悩みが軽減されていっているのでは?と考えてしまう僕はちょっとロマンチストだろうなとも思うのですが.
     僕自身Twitterを何気なく始めたわけで,何回もやめようと思ったことがあります.でもやめられないのは,Twitterに何らかの凄まじい魅力というのがあって,そのせいだと思って色々と考えて,色々と文章にしてきました.今回のもそれを知るための1つにはなったんじゃないかなとは思います.
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     少し前からブログの下書きをEvernoteにしていて,それをテキストボックスにコピーアンドペーストして記事にするという形をとっていたのですが,はてなブログに移行したところEvernoteから直接記事にできることができるとわかって感激です.インデントがずれないのは非っ常に嬉しいことです.いままでは面倒くさくてよくやりかたがわからなかったので装飾やリンクは使用しなかったのですが,これで少しは使うようになるのかもしれません.
 前回の記事の続きを書くべきかなとは思ったのですが,書きたいことを書きたいときに書くという自転車操業形式のブログなため,書くよと言ったことがしっかり書かれるとは限りません.とはいえ,記事を書くためのメモは残ってはいるので,いつか書くのかなあとは思いますけど.
 あと蛇足ですが,少し記事が冗長になってしまっているのを反省して少し短めに書こうと思ってこうなりました.色々と書こうとするとなんかよくわからないものになるのに,少ないことをずばっと書こうとするとそれはそれで薄っぺらいように感じられてしまってどっちなんだろうと頭を抱える毎日です.どっちのがいいんでしょうね,本当.
 ------区切り以降は細くであったり追伸であるという風に今まで書いてきたつもりなのですが,ここにきて追伸の方が多くなってしまいました.改めて計画性のなさにもう悲しささえ覚えます.少し上にEvernoteから抽出できるとかいうことも書きましたが,この追伸部分のほとんどは,投稿しようと思って抽出したあとに,あっこれも書こうと思って増えていったものたちです.気づいたらかなりの分量になってしまいましたねえ.というわけでそろそろおしまいにします.まだまだ書きたいことについてのメモはありますし,これからなんとなく書くための時間も増えそうなのでまた,ちょこちょこ更新されていくはずです.このブログを何人の人が読んでくれているのかさっぱりわかりませんけど.