たいむかぷせる2

何年か後に見なおして頭を抱えてくなるものたちのあつまり

ぴゅあだった頃の夏の話

 夏が来るといつも思い出すことがある。
 それはぼくが中学3年生だった頃の話。その頃はぼくもぴゅあだったし,色々なことを考えていそうで,ぜんぜん考えていなかった。いわゆる中学生であったし,厨二病はいい感じにこじらせていたし,要するに,世界をぜんぜん知らなかった。そんな中で経験したことを,せっかくだからちょっと書いてみようと思う。
 記憶を頼りに書くので,一部で事実を反するところがあると思う。まあでもそろそろ時効だし,せっかくの夏だから,たまにはこういうことを書いておくのもいいだろう。最近ちょっと小説チックの本を読み始めていて,こういう文章も書きたいな,と思っていたというのもある。
 「思い出す」ことであるので,これがすべて事実であるとは限らないし,記憶違いもあるだろうけど,その辺はなんとか勘弁してください。
 
 中学生の頃,ぼくはサッカー部に入っていた。
 サッカーが好きとか,運動が好きとかいうことはあんまりなくて,「とりあえずなにか部活に入らなきゃなあ」とか思って入ったんだったと思う。もともと運動はそんなに好きじゃなかったし,サッカーなんてやったことはなかった。だからあんまり上手くないけど,友達も何人かできたしなあ,くらいでずるずると所属し続けていた。
 中学生は中学生なので,恋愛をしてみたいと思っている。
 でも別にそういうのは知らないし,彼女ってなんのことかよくわからないし,でもなんだか興味はあって,色々とよくわからない毎日を過ごしていた。まあつまり「ぴゅあ」だったのだ。
 そんなこんなで中学生活は過ぎていき,3年生の春になった。
 
 ある日,部活のキャプテンが言う。
「罰ゲームを賭けて,PK勝負をしよう。」
 あんまり乗り気ではなかったけれど,周りもやりたがっているし,負けなければいいのかな,くらいに思っていた。
 お察しの通りぼくはPK勝負に負け,罰ゲームをやらされることになる。その罰ゲームがどんなものであったのかというと「好きな女の子の名前をみんなに教えて,実際に告白をする」というものであった。中学生がすぐ考えつきそうなことだ。
 
 そういうわけで部活が終わったあと,グラウンドのサッカーゴールの脇にサッカー部全員で集まって,円をつくる。
 もう逃げられない。そこでぼくはその子の名前を告げさせられたのだった。
「まあたしかに,かわいいよね」
「最近イメージ変わった子か」
「でもお前その子と話したことあるの?」
 それが1番の問題だった。
 そのときのぼくは,ぜんぜん話したことのない子を好きになってしまっていたのだった。今思うと「一目惚れ」とも言えるだろうか。
 その子はたしか生徒会かなにかをやっていたのだったと思う。全体の前に出て色々と話すその子の姿はなぜか魅力的で,好きになっていた。
 
「じゃあ告白して振り向かせるしかないじゃん」
 だれかが言った。まあそれはそうなのだけれど,それが簡単にできれば苦労はない。呼び出して告白すればいいのだろうけど,そんなことしたら恥ずかしくて死んでしまいそうだった。
「そういえば修学旅行が近いよね」
 ぼくの中学校では3年生の春に修学旅行に行く。修学旅行は1週間後くらいに迫っていた。修学旅行で告白,というのは中学生にとっては「定番」に見えた。それに,ここまで盛り上がってしまった「チュウガクセイ」のテンションを鎮めるのは無理だった。
 
 そんなわけで,ぼくは彼女に告白することになった。
 今思うと,話したこともない女の子に告白するなんて,された方はされた方で迷惑だったのだろう。まあでも,それが中学生という生き物だった。
 特になにをするわけでもなく,修学旅行のその日はやってきた。修学旅行は3泊4日で,2日目の夜にやることになった。彼女の部屋まで出向いて告白をする,という今思い返すと穴だらけの作戦。
 もうその頃にはこの告白は「サッカー部を挙げての一大プロジェクト」のようなものになっていた。女子階へ男子が侵入するのは表向きには禁じられていて,何人かの男子が教師の監視の偵察役になってくれていた。
 そのときの修学旅行の部屋割りは全員ツインだった。彼女と同室の女の子とは知り合いであったため,すれ違うと「告白するんでしょ,がんばって!」と言われて頭を抱えたけれど,そのときは来てしまった。
 
「今ならだれもいない,行ける!」
 そう言う「偵察役」のセリフとともに,ぼくは彼女の部屋の前までたどり着いた。インターホンを押すと,彼女と同室の仲のいい子が出てくる。
「いまお風呂中なんだ,また後にして」
 完全にタイミングを逸してしまったけれど,これではサッカー部の奴らになんて言い訳したらいいのかわからない。仕方ないので一度じぶんの部屋に戻ってしばらく時間をつぶし,再度インターホンを押す。
「なんでしょう?」
 もう逃げられない,言うしかない。湯上がりの彼女はふだん学校で見る制服姿とは違っていて,すごく魅力的だったのを覚えている。
「いやえっと,あなたのことが好きで。見ててすごく魅力的だなあ,なんて。」
「えっ…ありがとう。でも私あなたのことよく知らないから……。メアド交換とかから始めてもいいかな?」
 まあそう来るだろうなとは思っていた。話したこともない人にいきなり告白されるなんてよく考えたら迷惑すぎる。けれど,彼女の対応はものすごく丁寧だった。
 そんなこんなでメールアドレスを赤外線通信で交換して,部屋に戻る。すぐメールをして,次の日も楽しみだねとか突然ごめんとか,そういう他愛ないやりとりをしたんだと思う。そうやってぼくらは「友達」くらいにはなっていった。
 
 そのあと1ヶ月くらいはずるずるメールをしていた。ほとんど毎日メールをやり取りしていると,もっと好きになってしまうものだった。学校では話さないのに,メールではたくさん話す。そういう関係が少し不思議だったのをよく覚えている。もっと近づきたいけど,この距離感も居心地がいい。そんな感じでずっとメールしていた。
 これで終わってもよかったのだけれど,この話にはもう少し続きがある。
 
 「そういえば告白してあのあと,どうなったの?」
 サッカー部の友人が聞く。考えてみればぼくは報告などしていなかったわけで,気になるのは当然のことだろう。
 「断られたわけではないんだけど,別に成功したわけでもなくて,ほとんど毎日メールしてる」
 「え?じゃあもうひと押しでしょ」
 次の日には,ぼくがぐずぐずしていたことをあるサッカー部員にとがめられる。せっかく後押しして「告白」させたのに,友達になりました,だけではやっぱりおもしろくないのだろう。でもその頃にはぼくも彼女のことをかなり好きになってしまっていて,「もうひと押し」は必要にも思えた。
 
 「明日の部活が終わったら,ちょっと話すことがある。」
 こんな内容のメールをして,前日の夜は寝ることにした。その頃からなんだかドキドキして,もしかしたらこの関係は終わってしまうのかもなあ,とも思っていた。
 そしてほとんど右から左へ授業の内容を受け流していると,部活の時間になった。ぼくはグラウンド,彼女は体育館で練習していたので,練習終わりの彼女を呼び出してもらう。
 「はじめて告白したときから好きだったんだけど,メールしていたらもっと好きになった。付き合ってくれませんか。」
 しばしの沈黙のあと,
 「うん。わかった。ちょっと考えさせて。じゃあね。」
 もうだめかな,と思った。
 結局その日の部活では返事はもらえず,なんとももやもやした気持ちのまま家に帰って,学習塾に行く。休み時間にトイレで携帯電話を開くと,メールが来ていた。彼女からだ。もうドキドキはほとんどMAXで,すぐメールを開く。
 
 
 「おねがいします。」
 なんかもうただただ嬉しくて,「やった…」とかひとりでにつぶやいたのを覚えている。告白してOKされるというのは,じぶんが今まで生きてきたというのが認められたようで,ものすごくうれしい経験なのだった。
 彼女は「彼女」になり,ぼくは「彼氏」になった。
 けれど,中学生のぼくらは「付き合う」ということがどういうことなのか,あんまりよく知らなかった。お互いの呼び名を考えたり,時間を合わせて一緒に登校したり,下校したり,どんなところが好きかメールしたり,それがぼくらにとって「付き合う」ということだった。適度にまわりに冷やかされたり,でも好きだったり,学校だとあんまり恥ずかしくて話せなかったり,とにかくそんな感じだった。
 
 そんなこんなで3ヶ月くらいが過ぎた。
 少しずつメールの間隔が長くなったり,夏休みになって会えなくなったりした。きっとその頃のぼくは「彼女がいる」という生活に,慣れてしまっていたのだろう。会いに行こうと思えば会えたし,話そうと思えば話せたし,メールを送ろうと思えば送れたのだけれど,なんでかそんな気にはならなかった。高校受験を言い訳にしながら。
 何度も書くことだけれど,そのときのぼくらには「付き合う」ということがどういうことなのか,全然わからなかった。
 「なんで好きかわからなくなった,別れよ」
 というメールで,ぼくたちは別れることになって,今までの「友達同士」に戻った。不思議と悲しかったり,別れたくなかったりはしなかった。ああ,終わるんだな,とか,そんな感じで不思議とドライにとらえていたことを覚えている。
 彼女に会いに行こうと思えば会えるし,話そうと思えば話せるし,メールを送ろうと思えば送れるのだけれど,そのまま関係が変わることはなにも,なかった。
 
 これがぼくがぴゅあぴゅあだった頃の夏の話だ。
 高校生のときに駅で偶然すれ違って,ちょっとメールをやり取りしたり,そのあと何年か誕生日メールだけは来ていたり,成人式のときに会った大人びた彼女が可愛かったりしたのはまた別の話だ。
 まあ,こういう話がひとつくらいはあってもいいのだろう,と,夏が来るたびに思い出す。

専攻を語ってください

 誰かが誰かの専攻を語るのを聞くのが好きだ。
 ぼくの周りの大学生は,そろそろ専攻が決まってくる頃なので,よく「そういえばなにをやっていたんだっけ?」という質問をする。そういうとき大抵は目をキラキラと輝かせながら「えっとね…」と話してくれる。そうやって話す相手はものすごく楽しそうだし,そうやって話す相手を見ているのも楽しい。
 ぼくがまだ高校生だった頃,現代文のE先生がよく「大学は学問をするところだ」と言っていた。考えてみれば大学というのは「高等教育機関」であるから,今までの高校生活でやっていた「勉強」とは違った「学問」がそこにはあるんじゃないか。そんな風にも思っていた。
 そしてぼくらは,専攻を決定していく。もちろん大学によってそれはバラバラで,1年次にある程度細かく決める人もいれば,2年次とか3年次にする人もいる。とにかく,学年が上がるにつれて,専攻というのはより細かくなっていく。
 
 でも,なんでぼくは専攻を語られると楽しいのだろう? と少し考えてみた。その質問には意外とすぐ答えが出た。たぶんぼくは「その人の世界の見方がある」と実感するのが好きなんだと思う。たぶん。
 その人が1番好きな見方で,世界を見ていく。そうやって専攻について語られると,なんだか世界が少し違っているように見える。そういうのがきっとものすごく,おもしろいのだろう。
 生きていく中で,ぼくらは色んな常識や経験を身につけていく。そこで色んなものに興味を持ったり,つまらなく思ったりしながら,専攻を決めていく。専攻を決めるという行為には,今までの人生が凝縮されているような気がして,なんだか特別なことのように思える。
 
 しかもそれは,じぶんが選ばなかった道なんだ,ということも意識するとすごくおもしろい。専攻を決めるときにぼくらは,上で書いたように「それが1番おもしろい」と思って決める。だからときどき,その「じぶんが見ている世界」がすべてであったり,もっとも優れている(?)と感じたりする。
 でもだれかに専攻について語られると,そうじゃないんだ,ということに気づける。じぶんが見てきたり,興味を持ってきたりした世界がすべてではないのだということ。世界にはもっと色んな見方があって,世界はもっと広いのだということ。こういうことを意識できる。
 そういうことも同時に,ものすごく好きなのだろう。
 
 というわけで,ぼくは「専攻を語られる」のが好きだ。だれか語ってくれませんか。

ぼくと大人と新幹線と

 小さい頃から,ぼくは新幹線が好きでした。特に好きだったのは住んでいた愛知県を走る東海道新幹線で,幼いときはずっと「のりもの図鑑」や「でんしゃ図鑑」を読んでいました。
 子どもはやっぱり大好きな新幹線に乗ったり,見てみたりしてみたいものです。けれどぼくの家は新幹線の線路からは遠く離れていましたし,母親の実家はぼくの家から車で20分ほど。なかなか乗る機会はありませんでした。
 生まれて初めて新幹線に乗ったときのことは,今も覚えています。家族旅行で関西に行くときのことでした。家族4人で1区間だけ新幹線に乗ったのです。今思うと家族4人で新幹線で移動,というのはかなりの出費だったことでしょう。たしか100系だったかな。
 新幹線が大好きなぼくに見かねて乗せてくれた母親には感謝ですね。
 
 そんな中で,ぼくにとっての新幹線はやはり「特別」であり続けたのです。特別なときにしか,ぼくは新幹線に乗れなかったからです。
 それは常に旅行や大事な移動を含んでいました。あるコンテストの授賞式で,修学旅行で,部活の遠征などなど。愛知県に住むぼくにとって,関西や関東への移動はいつも新幹線でした。
 乗っているときは,それはそれは興奮していたことと思います。無駄に車内をウロウロしたり,普段の電車の2~3倍の速さで移りゆく景色にわくわくしたりしていました。
 
 しかし,そんなに「特別」だった新幹線が,今はそうではなくなってしまいました。あまりにも新幹線が身近になりすぎてしまったからです。
 東京に住むことになったぼくは,愛知に帰省するのにほぼいつも新幹線を利用します。それはほぼ数ヶ月に一度のペースで,乗る列車や区間もいつも同じです。
 新幹線に乗るのにわくわくすることは減っていきました。景色も見ずに寝ること,Macをぽちぽちすることが増えました。
 
 けれどひょっとしたら,それが「成長」とか「大人になる」ということなのかもしれませんね。「特別」だったものが,「特別」ではなくなっていくということ。わくわくしなくなること。
 ぼくがこれから先どんどん年を取っていくにつれて,そういう経験はもっともっと増えていくことでしょう。そしてそれがきっと「人生」というものなのです。
 なるべくならすべてのものに「わくわく」とか「はじめて」を感じていたいんですけどね。どうやらそういうわけにもいかないようです。
 
 ぼくが「特別」だと思っているものが,あの人には「特別」ではない,というのは,ぼくにとって「大人」を感じるのに充分な事実でした。*1つまりぼくの「特別」があの人にとっては「自然」であるということ。
 忙しそうにPCを開いて新幹線に乗っているビジネスマン,スーツケースを転がしながら新幹線に乗る若者。ぼくはそんなところに「大人」を感じていたのです。
 
 そしてぼくはそんな「大人」に憧れていました。21歳という法律上は「大人」であることを求められる今であっても,ぼくはそういう「大人」に憧れています。
 できることならば,そういう「大人」になりたい。ちょっと恥ずかしくて意識高いけれど,そう思うのです。ときどき新幹線に乗ると見かける,ぼくより若い子供たちにどう見られているのでしょうか。
 そういえばかなり前に見たマクドナルドのチラシでこんなものがありました。
 

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 昔見たときはあまり意味がよくわからなかったけれど,今ならなんとなく言いたいことがわかるコピーです。ぼくも「ちっちゃなとき見た」あの大人になれているでしょうか。
 もちろん小さな子どもというのは大人の「いいところ」しか見ませんし想像しません。子どもが思っているよりつらいことはたくさんあります。ぼくの年齢でそうなのですから,もっと年が多い大人ではなおさらでしょう。
 10年後くらいにこの文章を読み返したら,どんなことを思うのでしょう。ちょっとだけ楽しみです。
 
 そんなことを新幹線の中で「シンカンセンスゴクカタイアイス」を食べながら書き始めました。アイスは硬かったけど,美味しかったです。

*1:「あの人たちは、私の知らない楽しみ方を、心から知っている」というのは、私にとって「大人」を感じるのに充分な事実でした。

わかりやすい,はえらくない?

 少し前に「わかりやすいは1番えらい」といった内容の記事を書いたのですけれど,やっぱりそういうわけでもないかもな,と思うことが最近多いので書きます。
 ぼくはずっと「わかりやすいこと」が好きでした。そしてそれを目指してきました。わかりにくいと伝わらないし,誰も読んでくれないと思っていたからです。
 じぶんの中に何か《伝えたいこと》があって,それを伝えるためになるべく「わかりやすく」する。ぼくにとって書くことやコミュニケーションはそういうものなのかなあ,なんて思っていました。

 でも《わかりやすい》は1番えらいわけではない。最近は本当にそう思うのです。《わかりやすい》はひょっとしたらつまらないかもしれない。そうも思うのです。
 「わかりやすい」はしばしば《具体的》であることと言い換えられます。《具体的》であれば,なるべく多くの人が簡単に理解できます。容易にイメージできるからですね。
 一方で《具体的》の対照的な言葉である《抽象的》はしばしば「わかりにくい」ものだとされてしまう。簡単にはイメージできないし,じっくりと噛み締めないとわからないからです。

 そして人間は「わかりにくい」ものや「わからない」ものが嫌いです。なぜならそれは「怖い」に直結してしまうからです。未来のことが「わからない」から「怖い」のかもしれません。お化けが怖い人も,お化けが「わからない」から「怖い」のかもしれません。
 でもそうやって「わかりにくい」から逃げ続けていてもあんまりよくないのかな,とも思うのです。「わかりにくい」にしっかりと向き合うこと。これはものすごく大事なことだと思うのです。

 そんなことを「あみめでぃあ*1」を書くうちに思い始めるようになりました。
 くわしくは上の段落内でのリンクを見てくれると嬉しいのですが「あみめでぃあ」のテーマは「《概念》を語る」ということです。
《概念》というのはそれこそ《抽象的》であって,かなり「わかりにくい」ものでした。

 ぼくもなんとか《概念》を書いてみたのですが,すごく難しかった。考えて考えて悩んで,でもそれでも向き合って,なんとか書けたくらいのものです。
 あんまり自覚はしていなかったけれど,今は「ぼくは「わかりにくい」《抽象的》から逃げていたのかな」と思います。普段から色んなことを考えているつもりだったけれど,本当は考えていなかったのかもしれません。ものごとに対して「これはどういうことなのか」とか《本質》をとらえることから,逃げていたのかもしれません。

 「あみめでぃあ」の編集長のらららぎさんが,ぼくの書く文章について以下のように言ってくれました。

確かにぐらふくんの文章は具体に富んでて分かりやすいので、具体における分かりやすさ(速効性=ラノベ的•はてなブログ的)の他に、抽象における分かりやすさ(遅効性=詩的•思索的)の使い分けもできるようになれば、より一層面白い文章が書けるようになると思いますよ。

 これを言われた当初は「そんなことないだろう」と思っていました。けれどしばらくした今,たぶんそういうことなんだろうな,と思うのです。
 「『わかりやすい』はえらい」というのは確かにそうなのですが,ぼくが求め身につけてきたのは即効性をもつ「わかりやすさ」だったのでしょう。

 思えばぼくはずっと「わかりにくい」ものと戦ってきました。身近な例を挙げるとすればそれは数学です。数学というのは「数」という概念を扱う学問です。
 概念を扱えるようになるのはものすごく難しいです。それは《抽象的》であって「わかりにくい」ものです。
 けれどしっかり向き合い,訓練を重ねながら*2ぼくらは《概念》を獲得していくのです。はじめは「学校でやれと言われているから」とか「なんとなくおもしろそうな気がするから」とかそんなものかもしれません。けれど,ひとたび「概念を身につけた」あと,ぼくらの世界は広がっていたはずです。世界の見え方は少し,変わっていたはずです。

 そんなことを「あみめでぃあ」に参加するうちに思うようになりました。《概念》や《抽象的》であることからは,きっと逃げてはならないのです。
 もちろんそれが「よりよく生きるため」に必要であるから,ということもできるのですがそればかりではありません。《概念》や《抽象的》であるということは,ぼくらの世界を広げてくれるのです。そしてきっとそれは,ものすごく楽しい。
 「あみめでぃあ」に参加することで,今までずっと向き合ってきた「書く」ということにも,ある種のブレイクスルーが生まれたように思います。

 そして「あみめでぃあ」に参加する人たちは,本当の本当に「おもしろい」人たちばかりです。編集のちくわさん,らららぎさんをはじめとする人たちと,らららぎさんのシェアハウス「ヌーベル」で語り合うひとときは,本当に素晴らしいものです。
 あの空間に行くたびに,ブログ記事が1つ書き上がるような気さえするのです。

 そんなこんなで「書く」とか「文章」のことばかり書いてきたこのブログですが,こんどぼくの書いたものが実際に紙の本となって形になります。宣伝というわけではないですが,ぜひお手にとっていただけますように。
 ぼくが「わかりにくい」ものに向きあおうと思えたように,あなたの「わかりにくい」ものに向き合うための手がかりが,ひょっとしたら転がっているかもしれません。

chiasma.bangofan.com

今度の5/4にある文学フリマで販売します。実際に文フリ会場までお越しいただいても,通販フォームに入力いただいてもいいですよ。

*1:参加している「みんなでしんがり思索隊」という共同ブログの方々でこんど出すゆるふわ評論系同人誌。くわしくはリンク先のWebサイトをご覧ください。

*2:いわゆる演習というやつをくり返すことでしょうか。講義を聞くだけではわからない《概念》を頭の中に叩きこむことができます。

さらっとしたことを,さらっと書きたくて。

 ぼくがブログという形で文章を書き始めてから,今年で7年になります。今あるブログは,記憶が正しければ3つめのブログです。それまでのブログには,思い出すとものすごく恥ずかしいことを書いてきました。「科学を使ってわかる日常の疑問」とか「社会情勢に対して思うこと」とか,はては「日常に起こったこと」とか,あらためて考えてみても「だれが見て楽しいと思うんだろう」と思えるものばかりです。
 今も昔も《書く》とか《ブログ》とかいうことについてはよく考えてしまいます。「書く」ということはぼくの生活の中で少しずつ変わってくるものでした。ここらへんで「書く」ということを考えなおしてもいい頃だろうと思って,この文章を書きます。

 書こう書こうと思って書けなかったこと,っていうのがぼくの生活には多く存在します。なにか日常にものすごい印象的なことがあって,これは文章で残しておかねばならない,と思うことが「書こう書こうと思ったこと」だといえます。でも,なぜだか書けない。そういうよくわからないスパイラルにがんじがらめになってしまいます。
 書こう書こうと思った《日常でものすごい印象的なこと》を,なるべく損ないたくない,そう思ってあれこれ書くのです。基本的に《日常でものすごい印象的なこと》っていうのはぼくにとって《わからないことがわかるようになった》であることが多いです。じぶんがわからなかったことがわかるようになって,世界がぱあっと晴れる感じ,といえるでしょうか。

 でも《わからないこと》が《わかること》になるというプロセスは,他人に伝えるのがすごく難しいことです。それもそうですよね,だって今まで「わからなかった」んですから。
 だから,文章を書くときにものすごい数の「準備」をしてしまうのです。メモを取ったり,何度も書きなおしたり,一晩置いてみたり,えとせとら。先に書いたように,これはすべて《日常でものすごい印象的なこと》を,なるべく損なわずに伝えるためです。でもそれが果たして,なるべく損なわずに伝えるために有効な手段となっているか?ということも,最近はとても思うのです。
  色々と「どう伝えようか」考えているうちに,そのときの「印象」は薄れていきます。それに伴って,伝えるための趣向を凝らす,という努力がめんどくさくなる。そして最後には,本当にそれが「印象的」であったのか疑わしくなる。そんなプロセスが,どうしてもやってきてしまうのです。
  そんなこんなで,ぼくはずっとなにも書けない,という状態が続いてきてしまいました。

 でも世の中には,ある程度の「文章をさらっと書く」人が存在するのです。ぼくはそれが昔から,ものすごくうらやましかった。じぶんはこんなに悩んで苦しんでいる文章を,なぜあんなにも「さらっと」書けてしまうのだろう,と。
 年末と年始にかけて,何人かの《文章を書く人》に会ってきました。会うたびに「こうなりたいなあ」と思う像はどんどん増えていきました。
 もちろんぼくが表面的な部分しか見ていないというのはじゅうぶんにあり得ます。「そう見える」だけで,その人も実はものすごく「悩んで」そして「苦しんで」文章を書いていたのかもしれません。
 でもぼくはやっぱり「さらっと」書きたいのでした。

  そうやって「どう文章と向き合うか」ということを考えていたときに出会ったのが,ちくわさんのAskでした。

だいたい公開した翌朝に後悔するものの、長い目で見て書かなきゃ良かったと思うことってあんまりないので、とりあえず続けているといったところです。
ーーーどうしてブログを続けているのだと思いますか? | ask.fm/chikuwa_


 これを見た瞬間にぼくは「これだ!」と思ったのでした。こんなにも苦しんで悩んで何かを書くけれど,不思議と「書かなきゃ良かった」と思うことはあんまりない。これに尽きます。
 わかりやすかったり,誰かに読まれたり,知識を得られたり,といった文章をめざすべきなのではないか,と思っていた時期もありました。でも「書かなきゃよかった」と思わない《じぶん》のために,文章を書くのもいいのかな,とも思えるようになりました。

 「なぜ書くのか」とか「どうやって書くのか」というのに,なんらかの答えを出せるようになるには,きっと「書き続ける」しかないのでしょう。なぜだか不思議と「書きたくなく」はならないですからね。
 幸いにも一定数の人たちには読んでもらえているようで,うれしい限りです。どうやらぼくが生きているかぎり,このようなブログは続きそうですから,ぜひお付き合いくださいな。

  ひさしぶりに「さらっとしたこと」を「さらっと」書こうと思いましたが,どうやら失敗してしまいました。相変わらず分量はものすごく増えていきます。うーん,試験前にこんなことをしている場合ではないんだけどなあ。

あなたにとって「大晦日」は特別ですか。

     年末のこの時期になると,ぼくはいつもわくわくしていました。特に年末の「大晦日」という日はぼくにとっては特別な日だったのです。
     それは家族にとってもそうでした。わが家では,ぼくが小さい頃は「カップラーメンを食べること」や「日付をまたいでも起きていること」は禁止されていました。でも大晦日ならば,それは許されていたのです。
     小さい頃のぼくは,それはもうわくわくしていました。大晦日だからこそ今までやったことのない「徹夜」をしてやろうかとか,どんな味がするかずっと気になっていた「カップラーメン」を食べてやろうかとか,もうわくわくの宝庫だったのです。それはいつも暮らしていて見慣れているはずの「わが家」の景色を,何度も変えてくれるものであったのでした。
     そうやってぼくはずっと「大晦日」を楽しみにしていたのです。
 
     でも今年はあまりそうではありませんでした。タイムラインで見た人の言葉を借りるならば「もっとも『大晦日感』がない大晦日である」といったところでしょうか。というのも今年は18時ころまで名古屋で高校のときの友人と遊んでいたからです。思えば今までの大晦日はずっと家にいて,外出したことはあまりありませんでした。
     大晦日の名古屋は,ちっとも特別ではありませんでした。いつも通りたくさんの人がいるし,お店もいつも通りでした。たしかにざわついてはいるけれど,なんだか「特別」感がない。そういう風に感じてしまったのです。
     家を出たのが11時前でしたから,(起床している)12月31日の半分くらいを「特別でない」大晦日として過ごしてしまったことになります。
 
     でもその「特別でない」大晦日は,自宅に帰ってきたとたん,終了したのです。
     ぼくの家はやっぱり「特別」な「大晦日」が行われていました。おそばを食べて,紅白歌合戦を見ていました。これは毎年ぼくの家で行われることです。
     でももう1つ「特別」な「大晦日」を演出してくれるものがありました。そう,Twitterです。
     ぼくがTwitterを始めてから,2014/12/25で5周年アニバーサリーとなりました。これで6年目になります。ぼくは毎年の「Twitterでの大晦日」も大好きなのでした。みんなが実況して,いつもより流速*1が速くて,わいわいがやがやしています。そして年が変わるまさにそのときにみんなで「あけおめ!」とかtweetします。
 
     そうやって「みんなで」「特別な」「大晦日」を演出していくというのがぼくは大好きです。テクノロジーってすごいなとか,やっぱり人と人とをつなげてくれるんだな,とかなんだか楽しくなります。味気なく単調な日常の連続に,ときどき「特別」が訪れないと,人間はきっとうまくやっていけないようにできているのです。ぼくはやっぱりわいわいがやがやしているTwitterが大好きです。
 
     今年もTwitterがたくさんの経験や出会いをくれました。もちろんこのブログもそうです。今回は久しぶりにメモを書かずに記事を書いたので,色々とシッチャカメッチャカになっていますがご容赦ください。そういえばまた「しんがり」にも記事が追加されたので,よければお読みくださいね。
 
     あなたにとって「大晦日」は特別でしたか。
     よいお年を。
 

*1:時間あたりのtweet数のこと

ぼくと「しんがり」のこと

     だいたい半年くらい前から「みんなでしんがり思索隊」という共同ブログで文章を書かせてもらっています。ちょこちょことこのブログにもリンク付きで紹介していたので,わかる人はわかるかもしれませんね。とあるtweetによって,しんがり思索隊(以下しんがり思索隊と略します)について書くことになったので,ここにこうして書くことにします。
     「しんがり」ではどういうことをしているのか,どういうことを目指して作られたものなのか,ということを知りたい人はこのご案内の記事を読んでいただければ大体わかると思います。まあでも少し書いておきましょう。
     ここではたくさんの人が「きあずま」と呼ばれるお題に合わせて文章を書いています。「きあずま」を投げかけることもあります。そうしてみんなで文章をより集めてひとつの「ブログ」をつくっていくのです。
 
     「しんがり」が開設されたのは,今年の6月のことです。
     どういうやりとりがあったのか,詳しくは忘れてしまったのですが,ちくわさんという運営者の1人に声をかけてもらったのが始まりだったと記憶しています。彼とはぼくのTwitter黎明期からずっと仲良くしてもらっていて,お互いにブログで文章を綴っていることは知っていました。
     ひとりよがりに文章を書くのもいいけれど,みんなで文章を書いていくのもおもしろいかもしれないなあ… といった,割と感覚的ななにかに引き寄せられて,ぼくは「しんがり」に参加しました。
 

 
     はじめて「しんがり」を見たときから,そして今少しずつ拡大していった「しんがり」を見てぼくが抱く印象はあまり変わっていません。それは
 
じぶんと似た人がたくさんいる
 
というものでした。お前なんかと一緒にするな!というしんがりライターのみなさんがいたらごめんなさい。
     ぼくはじぶんが思ったこと,感じたこと,考えたことを文章に綴ってきました。そしてそれを「ブログ」という形で公開していきます。でも,そういうことをやっている人は周りにあまりいませんでした。
     ひとりよがりにじぶんが悩んで考えて感じたことを文章で書いて公開する。果たしてそれは正しいことなのかな?と思っていた矢先のことだったのです。
 
     それで出会った「しんがり」はぼくにとって救いのようなものでした。「こういう生き方をしていてもいいんだよ」と実感させてくれたような気がします。生きるのに悩んで,苦しんで,でもそれを文章にして,それで生きていく。そういう生き方はあってもいいんだよ,と言ってもらえたような気がします。
 

 
     「しんがり」について思っていることをもう1つ。ぼくは「しんがり」は
 
現状のインターネット文化に対するレジスタンス
 
の1つであるかのように思っています。
     最近のインターネットの風潮は「誰にでも理解できる」ものであり「短時間でわかってもらえる」ものが多いように,ぼくには見えます。さいきん話題のいわゆる「YouTuber」と呼ばれる人たちの動画や,有名なブロガーさんたちのブログはそんな感じです。
     一時期このブログの方向性を見失っていたときに読んだ「ブログ論」のようなものにも「まず見る人のことを考えろ」とか「おもしろいと思ったもので毎日更新しろ」とか書いてありました。
     でもぼくはそういう形のインターネットは「見る人にへつらいすぎている」と思うのです。インパクトやおもしろさを狙うあまり,悪く言ってしまえば「低俗なもの」が増えているように思えるのです。それは僕がブログやインターネットでやりたいこととは,少し違ってしまっている。
     Twitterという最大140字しか入力できないツールで日常的にコミュニケーションをすることに慣れてしまった人たちに「長い文章」はなかなか読んでもらえません。結果的に改行が多かったり,全体としての量が少なめな文章になります。
 
     でも「しんがり」は違います。たくさんの人がひとまとまりの長い文章を使って,なにかを表現しています。ぼくらのブログは,通勤や通学の間といった「スキマ時間」にひょいひょいっと「見て」もらうものではなく,しっかりと画面と向き合って,しっかりと「読んで」もらうものであると思っているのです。この広いインターネットの世界に,こういう場所が1つくらいはあっていいはずです。
 

 
     同時に「しんがり」は僕にとって,
 
人と人を「つなげて」くれるもの
 
でもあります。
     このブログがそうではないという意味では決してないのですが,しんがりでは自分と似たような人に「読んでもらえる」可能性がすごく高いのです。しかも,同じような内容に関して「書いてもらう」こともできるのです。
     誰が読んでいるかわからないこういう個人ブログでは,どうしても書き手であるぼくと,読み手であるみなさんの距離が遠く思えてしまいます。コメントをくれる人もあまりいませんしね。コメントくださいと言っているわけでもないんですけど。
 
     インターネットは双方向性をもったコミュニケーション手段です。できれば一方通行ではなくて,双方向のコミュニケーションがしたいものです。そういう意味でも「しんがり」はぼくにとってものすごく居心地のいい場所の1つであるのです。そうやって確実に人と人を「つなげて」くれるのです。
 
     また「しんがり」は,ある「きあずま」について,ある人が心を尽くして綴ったものです。心を尽くして綴ったものはもちろん,その人の心の深い部分を少なからずあらわしています。
     その人とは会ったことも話したことも,顔を見たこともないのに,その人の心の深い部分を知っている。そういう関係性はなんだか不思議で,なんともいえずぞくぞくします。かなり前にインターネットがせまくなってしまったと書きましたが,ぜんぜんそんなことはないのかもしれませんね。
     インターネットを使った「しんがり」は通常のコミュニケーションと違った方法で,まだまだ僕たちを「つなげて」くれているみたいです。
 
     もちろん,
 
ものごとを「違う視点から」とらえる
 
こともできますよね。
     色んな人の色んな文章で,色んな考え方を知るのはとても楽しいことです。「こういう生き方をしてきた人がいるんだなあ」とか「こういう考え方もあるんだなあ」と知ることは,なぜだかハッキリとはわからなくても,すごく楽しいことなのです。
 

 
     そんなこんなで「しんがり」について書いていったら予想外に分量が増えてしまいました。実際にはお題1つと記事2つという,なんとも情けない参加率なのであまりえらそうなことは言えないのですが。僕が「しんがり」で書いた記事はここから見ることができます。
     最近またしんがりライターの方が増えてきて,どんどんにぎやかになってきました。この素晴らしい場所を続けていくために,僕もたくさん考えて,たくさん書いてみようと思っています。
     「しんがり」に書かれているような内容で実際の書籍をつくり,文フリで販売するという「あみめでぃあ」企画もスタートし,無事に初刊を発行できたようですし。次号から僕も執筆する(予定な)ので良ければお手にとってみてください。
     「自分には書けない」と思っていても,書き始めると案外すいすい書けるものです。やっぱり僕にとって「書く」ことは「考える」ことであり,生きるために必要なことなのです。
     もし「自分もしんがりで書いてみたいぞ」と言う人がいたら僕かちくわさんか誰かにひとこと声をかけてみてください。
 
     書いてみよう,それは案外,いいことだ。